文化が盛んなところでは
「文化が盛んなところでは文書を大切にする」
「市井の商取引の帳簿は商法や民法の起源ともなり、国の秩序にかかわってくる」
「その記録を大事にして集積する」
「政治の場における文書や法典などは、みな実に貴重」
「西洋には博物館があり、些細なものでも収蔵している」
「図書館や文書館を設置して断簡や廃棄されそうな文書さえ集めて保存している」
「これが文化の極致と言うべきであろう」
これは明治4年から6年にかけて
岩倉具視をはじめとした明治新政府の使節団が
米欧を歴訪した折の報告書「米欧回覧実記」に記されたことだ。
進んだ米欧の仕組みや文化を目の当たりにして
国の作りが、そもそもから違うと実感したのだろうと。
この時には記録の重要性を痛感したはずなのだが
そもそもの姿勢が違い過ぎて
大転換するのは無理だったのだろうなあ、と。
議事録すら取らないだの
取っても即座に廃棄するだの
記録を保管する場所が無いだの
予算が足りないだので
どれだけの記録が消えて行ったことか。
確かに日本は日常的に天変地異があって
火事や洪水でモノが壊れては作り直すを繰り返してきた。
それだから、古いモノがそのまま残っていたりすると
それだけでむやみと有難がるものの
残していく労力は使いたがらず・そもそも新品を喜ぶ傾向があって
博物館では学芸員が観光マインドで金儲けをしろと尻を叩かれて・・・。
岩倉具視たちが草葉の陰で泣いて
いや、怒ってるのじゃあるまいか。
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