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数学の難しさ国語の難しさ

勉強
言語
子育ての風景

90歳の姑は戦後の学制改革に翻弄された世代で女学校から新制高校へ振り分けられた。そこで高校へ行ってみたら出身女学校ごとに得意な科目が違っていたのだと。
キリスト教系の女学校から来た人は英語ができて、自分が通っていたところは数学ができた。それは、数学は北大から来た学生がわかりやすく教えてくれていたからだと言っていた。戦中戦後は学校の教師も出征して不足していたので女学校を出たばかりの人やお坊さんや大学生が来て教えてくれたという時代だったのである。
さてそこでその姑が言うに

数学は公式に当てはめれば答えがはっきり出るから好きだったの
「解析」っていう教科書だったの
だけど国語はねえ、難しかったわねえ

ぐはあっ「解析」とな!!
その一方で、国語はどういう所が難しかったんですか?と聞いてみたが
難しい言葉とか-難しい漢字とか-うーん?
ふむふむ、わからないところがわからないという国語の勉強の難しさ
というヤツでござる。

日常的に姑としゃべるうちに・姑のいう日本語の難しさというのは
これまでにどれだけの「言葉を浴びてきた」かによるのではないかと。
戦中戦後は何しろ紙が不足していてろくな教科書も無かったし
子どもの頃は周りに文化的な・本と親しんだ人がほとんどいなくて
かろうじて軍隊の将校さんの家や大きな牧場を持っている家に遊びに行ったら「りっぱな」本があって驚いたと言っていたのだ。

そういう環境では本を読むことで多くの言葉や多くの知識を
「浴びる」経験はできなかったのだ。
結婚してからは明治生まれの難しい姑がいて
本や新聞を読んでいると「この怠け者!」と叱られたので
活字を読むことからはすっかり離れてしまったのだと。
これが戦後生まれの人だと
学校の教科書もきちんとそろって学校の図書室もあったばかりでなく
理科の実験も社会見学もレコード鑑賞も楽器の演奏もできたワケで
それらに付随した「言葉」と「知識」の分量は姑の時代とは大違い。

姑は今日も新聞を読んでは
日本語って難しいわねえ、と言っている。