言葉は一度で身に付かない
言語
子育ての風景
小学3年生の頃
スキー授業で緩いスロープをどこまでも止まらずに滑って行って
ついに斜面から道路に落ちた。
あー、滑ってるな―、どこまで滑って行っていいのかなーと思いながらこのまま行くと道路に落ちると分かっていながらそのままぼーっと滑って行ったのである。
アホである。
ゆっくりのスピードであっても50㎝程の段差を落ちたのでスキーを履いた足は左右におかしな形に開いてそれなりに痛かったが、慌てて駆け寄ってきた先生じゃなくて付き添いのお母さん(?)に「大丈夫?やせ我慢するんじゃないよ」と言われても「やせ我慢」という言葉の意味がわからなくて、ただ、うんうん、と答えたが、痛くても何だか恥ずかしくて言えないことはあるはずでさらにそこで「やせ我慢」という未知の言葉も壁となったワケだ。
子どもにかける言葉は子どもの語彙の範囲内でないとイケナイ。
中学1年生の時
担任の先生が朝の会で
いつもは朝起きて掃除をしてから学校に来るのに、今朝寝坊して掃除をしないで家を出てしまって「とても気持ち悪い」です、と。
中学生の自分にとって「気持ち悪い」は「吐き気がする」だったので
何言ってるかちょとわからなかった。
今考えると、「落ち着かない」の意味だったのだろうとわかるが、あの時に理解できなかったのは「気持ち悪い」の意味だけでなく、いつもの習慣ができないことがストレスになる、という知識がなかったこともあったなあ。
高校生の時
修学旅行に行く前に近所のかかりつけの診療所でお薬をもらってきた。
身体の弱い自分のために母が頼んでおいたのだろう。
「これ、熱が出たり風邪みたいに具合が悪くなったときのね」
「胃薬も入っているからね」
「トンプクでいいからね」
「はい…」ぼーっと返事をしてもらってはきたが
…で、トンプクって、ナニ…?
もちろん、母もお医者さんも
不意に具合が悪くなったときのためにということで「頓服薬」を処方してくれたのだろうが当人が「トンプク」の意味を知らなくて、宿泊先で薬の紙袋を手に誰にも相談できずに固まってしまうとは夢にも思わなかったろう。
修学旅行二日目に食欲が無くて頭が痛くて要するに具合が悪くなったので
具合が悪いんだから…食欲もないし…
飲んでいいはずだ…よな…
ほぼ効かなかったのは修学旅行にはお約束の寝不足が原因だったからだろう。しかも袋には「一日3回食後服用」とあったので、その後その通りに飲み続けた。寝不足と相まって、旅行中ぐだぐだに眠かった。
要するにこれは風邪薬で熱とか咳とか出たときに飲めばよかったのに
そのことを全然理解していなかったアホな自分。。。
診療所でちゃんと聞き返して確認すればかったというだけのハナシなのだが
言葉と意味の獲得というのは
ホントに長い年数をかけて試行錯誤しながら積み上げていくモノであって
で、今も積み上げちうでござる。
人生とは一つ一つの言葉を身に付けて熟成させる修行の旅でもあるのだ。