見出し画像

それは愛なのだけども

子育ての風景
コミュニケーション

もうすぐ90歳のおばあちゃん(姑)の話を聴く毎日。
既に世の中はおばあちゃんの時代から二転も三転もしているので
価値観はまるっきり変わっていて
そのことにおばあちゃんはついていけないながらも
「今になって考えてみれば、なーんで?って思うのよ」と
つぶやくことが増えてきたような。
これまで当たり前だから・考えてもみなかったことが
実は、とんでもないことで・間違っていたのではと気づくのもツライが
そのことを認めるのはさらにツライ話。
大体は同じ話で(汗)特によく聞くのが結婚の話。
昔、昭和30年ごろまでは
親が選んだ相手とお見合いをして結婚するのが当たり前で
さらに、いき遅れては大変と20歳前後でとにかく結婚させる。
結婚しちゃえばもう何があっても出戻って来てはイケナイ。
「もうイヤだ」と言おうものなら
出戻りなんて恥ずかしいことは絶対にダメ!
親兄弟親戚に恥をかかせたらダメ!
子どもがいたらなおの事・子どものために別れたらダメ。
という時代だったのだ。
さてそこで
当時の親の、娘の結婚にあたっての第一条件が
「食いっぱぐれない」ことだった。
食べていけさえすればいい、と。
だから例えば
お役所勤めで管理職だなんてこれ以上は無いくらいの良縁だと。
太平洋戦争というとんでもない時代をかいくぐってきた親が
娘がちゃんと食べていけるように
お金に困らないように・暮らしていけるように
あくまでも「良かれ」と思ってのことだったのだが
如何せん、自分たちの世間が狭く・知識が足りず
したがってこの先の世の中がどうなっていくかなど想像できなかった。
で、ナンで、そんな「好条件」の男性がそんな歳まで独身だったの?
とは考えなかったんだなあ。
おばあちゃん言うに
この歳になって周りを見回してみれば
身の回りにいたあの人もこの人も
親の言うなりに結婚して・たーだ我慢せい我慢せいで
人生を台無しにされちゃっていたねえ、と。
「女が外へ出て働くなんてトンデモナイ。」
都市部における「専業主婦という職種」ならではの事例であり
今よりはるかに人生のやり直しがきかない時代だった
ということでもある。
それでも
おばあちゃんは必ず話の最後はこう締めくくる。
「今が幸せだからこれでヨシ♪と思ってるの」
うんうん、そうですよね。
おばあちゃんの人生はヨシ♪ですよ。

さてそこで
以前息子夫婦が孫を連れて遊びに来たときのこと。
孫はまだ寝返りもできないぷにぷにの赤ん坊である。
で、そのぷにぷにをぷにぷにしながらふと思ったのが
自分とこの子が60年以上も歳の差があることだった。
これって、びっくりじゃないか!?
息子との歳の差は30年ほどで
生まれ育った文化の差はそれなりに理解している(つもり)だが
この“ぷにぷに”との文化の差はおそらくは如何ともしがたいだろう。
だから
それはとても違うものだ、とだけ理解しておこう。
例えばうちのおばあちゃんには私の文化は半分も理解できないし
ましてや共感もできない。
団塊の世代の前と後にはおおいなる断絶がある。
そういえば昔々「断絶の時代」ナンて流行語があったっけ。
(おググりあそばせ)
言ってみれば
息子は自分にとっては月のようなものだ。
表面の地形・クレーターや海は見えるが手は届かなくて
見える割には遠い。
孫は自分にとっては火星のようだ。
表面の地形も見えず月よりもさらに遠くにある。
それでも
月は時にぼんやりと・時に大きな顔をして目の前を行き
火星ははるか遠くにいながら
空に赤く輝き、その存在をはっきりと主張する。
月も火星も
私の手の届かない場所で
自分の軌道を行けばいい。

ちなみに
「婚姻覚書」瀬川清子著 講談社学術文庫
この本は結婚の形の変遷が述べられていて興味深い。
昔の当たり前・今の当たり前・未来の当たり前。