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備える以前に憂いなし(おい)

※3000字あります、災害対策について。



水と安全はタダ。
そんな災害大国、、、、があるという――



大工殺すにゃ刃物はいらぬ、
雨の三日も降ればよい。

昔気質の職人さんが言うやつ



殺人級の暑さがつづいておりますね。
こうして生きて note を綴ることができるのも電気のおかげ、インフラのありがたみを感じざるをえない夏まっさかり、晴れていたかと思いきや、にわかに黒雲たちこめ雷鳴とどろき雨が滝のごとく降り出しますと、恵みに感謝というよりも、氾濫や土砂災害による家屋倒壊、停電と憂うことしきり。

備えあれば憂いなしなどと申しますが、備える以前に現状を憂いてもいないのであれば、備えるべくもない。
そんな脆弱な国であるのなら、今日こうして生きているだけでも丸儲けではないでしょうか。

昨今の豪雨災害、素人目線ながら、天候(環境)の変化にインフラが追いついていないような気がしておりまして。
だとすれば早急に治水対策等が必要でありましょうが、公共事業と聞くと脊髄反射的に税金の無駄遣いじゃと息巻く方が一定数いらっしゃるようで、なかにはインフラの脆弱な過疎地に暮らす人がみな都市に移ってくれたら無駄な金がかからず効率的でええとかいう言説も。


カネカネカネ。
世の中お金。お金は生きていくために大事ですよ。
しかし家計と財政はまったく異なりまして、先立つもの、財源がなければならぬのは同じでも、借金はよろしくないというのは家計の発想です。
国債を発行してでも、この国で暮らす人びとの生活を守るのが本来の政治の役割でしょう。

311のときも、時の政府はたしかまっさきにお金(復興増税)の話をしたように記憶しておりますが、国債発行は「無駄遣い」であるかのような空気は、確かに今もある。
また津波で被害にあった土地は人が再び住めるように復興するのではなく、広大な農地にすればいいと目を輝かせて語るハゲがいて(震災の二三週間後)、つるりと引っ叩きたくなったのを堪えたものですが、世の風潮として兎に角無駄遣いはよろしくないのであり、そこに暮らしていた(または暮らしている)人の生活は二の次で、それゆえに生活基盤たるインフラ整備を軽んじているような気が致します(素人目線です)。

無駄遣いはいけないという。されど国が、何を無駄と考えるかの基準が営利目的の民間企業と同じ、採算がとれるかどうかでは話にならぬ。
この国で暮らしている人びとの生活を守るのが国の役割なら、国土を守るのも、また土木建築、建設の技術をもった人材を守るのも国の役割でありましょう。

公共事業には中長期的に人材を育成するという側面、または役割があって然るべきであるという認識が芽生えればいい、いやべきである。
供給能力(事業者数)に対して需要(仕事)が少ないのであれば政府がそれを埋める、財政出動という発想です。
インフラストラクチャーとは私たちの生活(スープラストラクチャー)を支える必要不可欠なものであり、それを担う人材の確保は来たるべき災害に対する備えともなる。
無駄なんかではありません。
もう遅いかもしれませんが。
以下に建設投資額と建設業就業者数、就業者の高齢化と外国人労働者数、それぞれの推移を。




平成30年間の建設投資額と建設業就業者数の推移




建設業就業者数

建設業就業者数は、1997年(685万人)をピークとして減少が続いており、2023年はピーク時比70.5%の483万人。

https://www.nikkenren.com/publication/handbook/chart6-4/index.html




建設業就業者の高齢化の進行

建設業就業者は、2023年には55歳以上が約36%、29歳以下が約12%となり、全産業と比べ高齢化が著しく高くなっている。建設業の生産体制を将来にわたって維持していくためには、若年者の入職促進と定着による世代交代が不可欠である。

同上




外国人材の受け入れ状況

建設分野で活躍する外国人の数は、近年増加傾向にあり2021年で11万人を超えている。在留資格別では技能実習生が64%の7.0万人を占めている。なお、2021年の減少は新型コロナウィルス感染症による入国制限が影響したものと考えられる。

同上




備えあれば憂いなし

就業者数の減少と高齢化、そして外国人労働者の増加は、少子化、政府の移民政策を鑑みるにこれからもすすむ一方でありましょう。

話はやや飛びますが、先月より、集合住宅である拙宅のまわりには足場が組まれておりまして、唐突に電動工具のガーガーいう音や日本語の人声に混じって外国語の話し声、時には歌声(仕事なめとる)まで聞こえ、暑さも相まってイラつくこともしばしば。

とはいえ建物をぶっ壊しているわけでもなし(多分)、我慢するより他はないにしても、騒音に悩まされた経験のある方ならわかるかと存じますが、問題は騒がしい音がいつ鳴るかがわからないということで、気にし始めるときりがない。

話を元に戻しますと、いつ襲ってくるかわからない天災に備えなければならないはずの、災害大国であるのがこの国。
30年以内に70〜80%の確率で起こるといわれているのが、南海トラフ地震です。



予想される震度分布
津波高


内閣府の被害シミュレーションによれば死者は最大32万人、全壊および焼失棟数合計は最大238万棟とのことでありますが(🔗)、もしこの未曾有の災害が襲ったら、復興は誰が担うのか。
国内の事業者だけで足りないとすれば海外に援助を求めることとなり、そうなれば事実上の移民受け入れ拡大政策となるのではないかと危惧しております。


日本は地震は頻発するし、火山のたくさんある(世界の活火山の7%)災害大国です。明治維新後、外国人の数が増えなかったのは地震の多さによるものと指摘している本もありますが、移動が当時より比べ物にならぬほど簡単になった今日、ヤバいとなれば脱出すればいい。
それよりも、自国にいるよりこの国で得られるメリットが大きければ、復興援助という名のもとに来日した建設業者は仕事がおわれば引き揚げるでしょうか。

外国人の土地取得に関して、この国はかなり甘いらしい(🔗)。さらに水と安全もタダとあっては、たとえば自国の土地を取得できない国民にしてみればそのまま居ついてしまいそうなもの。ましてや同胞がすでに根づいてあれば、もはや言わずもがなでは。
果たして、杞憂に終わりましょうか。

目先のことばかりにとらわれ、人を大切にしてこなかったこれまでの不作為をまず憂い、起こりうべき危機に備えなければなりますまい。
最後までお読み頂き、有り難うございました。



(付記)
本稿はこれ以上の移民受け入れには反対もしくは慎重の立場をとります。少子化、人手不足、低賃金等、現下の体たらくは過去の不作為ゆえであり、この不作為からやり直すことができればまだこの国の「かたち」が維持できるのではないか。
人手不足だから外国人に来てもらおう、
今だけいいのならそれでええのでは?
それが正論だと思い込んで安心しとけばいい。
じゃあどうする、対案は。
という人は今すぐに安心したくて結論が欲しいだけの自分ファーストでしょう。
日本の話をしているのに主語が「自分」では噛み合わうわけもない。
しっかりと腰をすえなければ。
過去の不作為という痛みを、私たちはどこかで引き受けなければなりますまい。
対処療法ではいずれ国の「かたち」が無くなりましょう。










↓地球化学者(火山学者)による平易な言葉で書かれた良書





↓インフラって大事という当たり前のことに気づかされました