サナキダヨウイチ

ドストエフスキーと、人の考えに触れるのが好きです。独善は諸悪の根源、精進して参ります。

サナキダヨウイチ

ドストエフスキーと、人の考えに触れるのが好きです。独善は諸悪の根源、精進して参ります。

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感じることだけがすべて

例の通訳氏の話ではありませんが、「悪」に不寛容な社会は息苦しいなと。善悪よりも、実感を信じたい。 時間の喩え話です。 車を走らせている。 フロント硝子の向こうに見えるのが現在、過去はバックミラーから零れ落ちていく。未来はつねに先に「有る」。 知ることは叶わない。 今しかない。 ゆえに「私」は無知である。 過去も想起しているという今。今しかない、未来はない。 未来は、有ると仮定して初めて「有る」。 未来が有ると仮定して、アクセルを踏み込む。加速度を感じる、バックレストに躰が

    • 水は低きに、人はやさしきに

      差別やいじめ、それに類するハラスメントがなくならないのは、自己保身のため、誰もがスケープゴートを探しているから。 「やさしい」人はカモにされる。 失われた30年、 ではなく人間、30年も生きていれば、 一人かふたりぐらいは〇したいとまではいかずとも、 死にかけていたら放っておこっかな♬ くらいの、 憎たらしいやつがいるものでして、 ”善人なをもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや” とは歎異抄の有名な一節ですが、 憎いあんちくしょうめが死んで、救われるのなら、せめて生きてい

      • サラバ青春ノ光

        アメリカ大統領選が迫って参りましたね。 以下、分断と青春について思いつきを少々。 お付き合い頂ければ幸いです。 17、8のころ友達に、 『さらば青春の光』という映画を観たことがないなら早く観たほうがいいぜ、俺の血はそいつでできてる。 と言われ、そのイキがった言い回し含め、「俺が俺が感」が気に入らなかったので以来スルーしていたのですが、最近観る機会がありまして、 イキがった子どもたちが敵対するグループと喧嘩したり、クスリをきめたりとあーだこーだがあって、最後に一途な主人公が

        • ハイ!チャイナ!

          元国会議員のタレントが断言するところによると、あなたの一票では日本は変わらないらしい。 ↑わざわざ口に出すことではありません(飲み込んどけ)。 こんなのが政を担ってしまう国で、日々平穏無事に暮らせていることは当たり前ではないのでしょうね。 奇跡かも。 天に感謝、 今日も恙無く、夕方、妻がキッチンで鍋の火を見ながら鼻歌を―― 有り難いことに家事を担い、小生の生活を支えてくださっているのである。 番号ちゃうでとつっこむなど野暮というもの。 ゆえに言葉を飲み込む。 とこの瞬間、

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        感じることだけがすべて

          無我の果てに

          ひとは誰しも一人では生きてはいけぬ、 とは当たり前ですが、 正確には、 一人では生きてはおらぬというべきではないでしょうか。 以下無我について。 お付き合い頂ければ幸いです。 津波で行方不明となっていた娘から手紙がとどいたとき、宛名書きを一瞥し、直筆のものであることを見て取った父親は、刹那であれ、もう亡きものと死亡届も出していた娘の生存を信じただろうか。 というのはその十年前、娘が旅先で訪れたテーマパークにて認めた未来への手紙が、行方不明の三年後に両親のもとへ届いたという

          うばすてやま考

          親と子の関係性は人の数だけありますが、根底にあるのは依存関係。それが経年により移ろう中で、世にある「親子」という幻想も相まって己を見失うことも。 以下、備忘録的に「姥捨て」について。 やや偏ってはおりましょうが、お付き合いくだされば幸いです。 毒親でなくとも、 誰しもこころの中で一度くらいは親を棄て、その死を願うものである。 それがどんな親であれ、理由はなくとも、象徴的な意味において、あるいは文学的に。 人は完全ではない、 という当たり前を子は親を通して学ぶ。 完全でな

          壁と分断

          パレスチナ・ガザでの戦闘が始まりちょうど一年。 昨夜放映のNHKドキュメンタリー『映像の世紀』のタイトルは「壁 世界を分断するもの」というもので、この日に合わせたのでしょう。 ベルリンの壁や38度線、中南米諸国からの不法移民を遮るアメリカ国境、そしてパレスチナ・ヨルダン川西岸の分離壁を、分断の象徴として、物理的に自由を奪うものとして、壁のもつ一側面だけを取り上げておりましたが、同じことは、大手メディアのニュースを眺めていてもしばしばあり、パレスチナへの関心はイコールパレスチ

          誤読の自由

          安部公房(1924~1993)が教科書に掲載された自作について、「その大意を述べよ」というのは教育としていかがなものかと何処かで書いておりましたが、シュールで独特、しばしば難解な氏の作品でなくとも、「大意」などという正解があるとしたら、どうにも息苦しい。 といえば、 考える時間はコストであり、コンテンツとは消費するもの🔗、文学に限らず映画もドラマもアニメも兎角にわかりやすい「正解」が求められる昨今にあっては、時代錯誤の老害と誹りを受けるやも知れませんが、あえて申し上げたい。

          エゴイスト

          自助、株主資本主義について。 お付き合いくだされば幸いです。 解雇規制緩和についての街頭インタビュー。 企業がクビを切りやすくなるのをどう思うか。 賛否あれど、支持するか否かで、そのまま強者と弱者と言い換えてもいいようなトピックであり、雇用の流動化が生産性を向上させるという言説もあるようですが(絶対ウソや)、解雇するだけでその後のフォローがなければ格差、分断が拡がるのは間違いありません。 賛成の、一杯機嫌の50代男性会社員いわく、 「無能な上司をクビにできるようになるのは

          畏れよ、ゴジラの如く

          本多猪四郎監督『ゴジラ』(1954)は、第五福竜丸事件、水爆実験、そしていまだ戦争の記憶が生生しく残る時代を背景に制作された国民的怪獣映画。 言わずと知れたシリーズ第一作でありますが、今作ではゴジラは核の脅威のメタファーとして、また長らく人間と共存してきた畏怖の対象として、描かれている。 時化(不漁)、頻発する謎の沈没事故について、島の老人がつぶやく。 「やっぱり、ゴジラかもしんねえ」 海の魚を食い尽くすと陸へ上がって人間を食らうといわれる怪物、ゴジラ。島には時化がつづくと

          畏れよ、ゴジラの如く

          異邦人

          哲学の義務とは、人びとの誤解を解くことであるとむかし誰かがいっておりましたが、結局のところ、その義務とやらはいまだ果たされてはいないらしい。 あいつはポンコツだ、生産性がまるでない、代わりはいくらでもいる、あの給料ドロボーめ、などと日常的に評価と称して己というものが好き勝手に他者によって語られていると、誤解であってもこころが削られ、言い返す気も失せるというもの。 されど誤解とは理解の異名である、そう気づいたとき、己は異邦人であると知る。 公園の噴水の近くでちいさな男の子

          大衆への反逆

          トッド・フィリップス監督、ホアキン・フェニックス主演のアメリカ映画『ジョーカー』(2019)の続編が近日公開されるとか。 いわずと知れた『バットマン』シリーズの悪役ですが、人としての一線を踏み越えてしまったダークヒーロー、ジョーカーが胸を打つのは、絶望の果てにあってもなお、己自身であろうとするモラルが感じられるから。 己のあるべき姿を教えるのが、モラルである。 大衆の反逆 どこかの兵庫県知事が百条委員会とやらで矢面に立たされているのが連日報じられておりますね。 受け答え

          汝自身を知れ

          世界は謎に満ちている。 ゆえに人は知ろうとし、問いを立て、それを解く。 人間の営みとは、この繰り返しである(見切り発車)。 問えば答えがあるという。 ギリシア神話において、頭は乙女、羽根をもった獅子が身体の怪物スピンクスの謎をオイディプスが解いたように、西洋人は自然を知性で支配しようとし、日本人は、災害の絶えぬこの列島で、天為に人為は及ばぬとある種の諦観をもって、天災を所与のものとして自然とともに生きてきた、 とはよく言われることでありますが、過日、大雨暴風吹きすさぶ中、

          セクシーなのは誰でしょう

          与党総裁選が月末にありますね。 出馬表明する議員も徐々に出そろい、各候補の「政策」だの「意欲」だの「人柄」だのがちらほら報じられているようですが、新自由主義者、構造改革路線もいれば保守もいて、積極財政派に緊縮派とバラバラで、「争点」が見えません。 バラバラでも、「保守政党」と呼ぶ向きもあるとかで。 自民党の国会議員367名と全国110万の党員・党友に投票権があるとのことですが、この国のトップを決める選挙とはいえ、世論調査やそれに関連する論調を何となく眺めておりましたら、ふわ

          セクシーなのは誰でしょう

          内なる狼に

          年間500件を超えるといわれる、子どもの自殺について。 お付き合い頂ければ幸いです。 人の痛みのわかる人になりなさい、と教訓を垂れる大人がある。 そのわけを、人の痛みがわかれば人に優しくなれるからという。 半分は正しい。 経営者やスポーツ指導者は、相手の嫌がることをしなさいと教える。 そのためにはやはり、人の痛みを知らねばならぬ。 弱点を。 優しいだけではいけない。 この能力主義の世にあっては。 か弱い者は、狼に食いころされる。 ゆえに弱きは罪である。 そう教えられ

          マウント節考

          ※以下、マウントを取りたがる人のことを不毛という意味を込めて「ハゲ」と記しております。ハゲと聞いて不快に思われる方はお読みにならぬように。 ある日のこと。 ASUSというメーカーのタブレットを使っていたら、 「おっ! エーサスじゃん。おれの息子も台湾製の安物もってんのよね〜」とハゲが目ざとくマウントを。 声が平生より一オクターブ高い、嬉しげである。 ひと回りくらい歳上だし、端的にめんどくさいので受け流します。 「そうですか。コスパいいんで(エイスースな、ハゲ!)」 日常生