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汝自身を知れ


世界は謎に満ちている。
ゆえに人は知ろうとし、問いを立て、それを解く。
人間の営みとは、この繰り返しである(見切り発車)。
問えば答えがあるという。



朝には四つ足、昼には二本足、夜には三つ足で歩くものは何か――

オイディプス 「人間やろ?」
 スピンクス 「ぷぺー」

スピンクスの謎





ギリシア神話において、頭は乙女、羽根をもった獅子が身体の怪物スピンクスの謎をオイディプスが解いたように、西洋人は自然を知性で支配しようとし、日本人は、災害の絶えぬこの列島で、天為に人為は及ばぬとある種の諦観をもって、天災を所与のものとして自然とともに生きてきた、

とはよく言われることでありますが、過日、大雨暴風吹きすさぶ中、しばらく疎遠となっていた知人がひょっこり娘をつれて来訪しまして。

さてこの娘、五歳であるという。
物怖じせぬ。
拙宅の抽斗という抽斗に興味津々のご様子であり、中身は何かと問われ、小生厳かに答えていわく、
秘密だ。

されど、
この中は、そっちはと怯まぬ娘の応対に忙殺されるばかりでございましたが、知的好奇心の芽生えた子どもにとって、世界は謎に満ちているらしい、ゆえに問う。

世界のすべてを知り尽くした干し柿みたいな顔つきのジジババ大人も、かつてはこうだったのかと思うと微笑ましい。
もちろん、子どもがである。

知的好奇心とは命そのものであるとむかし誰かがいったとか。
人はいくつになっても兎角に知りたがるもの(知り尽くすなどあり得ぬ)。
ですが、他所のうちの抽斗の中身などという低俗なものよりも、もっと先に知るべき、私たちにとって根本的なことを古歌は教えてくれます。



引き寄せて 結べば柴の  庵なり
解くればもとの  野原なりけり



先日ラジオを聴いておりましたら、さる老ジャーナリストが昨今の高温多雨、地球温暖化に触れ、人類は今後もこの問題に取り組んでいかなければならぬとおっしゃっていて、とっくに陳腐化された主張とはいえ、いやそれだけに、抗弁しがたい風潮が今の世にはありますね。

温暖化は地球規模のグローバル問題であるゆえ、人類で取り組まねばならぬという考えの根底にあるのは、人間が自然を支配しうるという西洋的思想、ならびにグローバリズムでありましょう。

原因は温室効果ガスである、人間の生産活動によるその排出である、というのは、未だに学者によっても諸説賛否あるにせよ、もはや定説であり、所与のものとして世界は動いておりますが、申し上げたいのは定説とは、定説であると仮に説かれているものということでありまして、ひいてはこの世界で起こるあらゆる事象もまた同様に、言葉によって仮に説かれたものであるという視点こそ、思い起こすべきではないでしょうか。



慈円
(1155~1225)


草木でできた庵は、結べば有る、解けば無い。
砂のお城も雪でつくられたかまくらも、人体も然り、脳細胞と心筋細胞は死減する一方、その他の細胞は数年ですべて入れ替わるといいますが、語りうるもの、五感や意識で捉えているものはみな実在している不変のもの、、ではなく、移ろい、現象として、今ここに、知性によって仮に説かれて初めて有る。

一切はくうであるということ。
無常であるということ。
ゆえに自然とは、ままならぬものである。

頻発する地震や噴火、津波といった災害を、根底においては人為の及ばぬ天為によるものと諦め、空を感じながら自然とともに生きてきたのが私たち本来のありようだと知れば、温暖化を始めとする諸々の地球規模の問題は私たちとは異なる思想の押し付けであると気づきましょう。
人間が自然を支配するように、より力の強い者が弱者に押し付ける支配ルールであると。

上述のジャーナリストが番組中いみじくも述べておりましたが、戦後ニッポンは身体に見合った服を自前でつくれず、押し付けられた服に身体のほうを合わせてきたのだと。
自前の服がつくれないのは、己というものがわかっていないからでしょう。

何事も、
結べば有る、
解けば無い。
一切は空である。
されど問えば答えがあるという。
問いとは畢竟、己への問いであり、
正しい答えは己のうちにしかありますまい。



汝自身を知れ

デルポイの神殿に刻まれた
古代ギリシアの箴言





お読みくださり、ありがとうございました。