仕組まれた自由
「仕組まれた自由にだれも気づ」いていないと歌った、尾崎豊『卒業』がリリースされたのは1985年。つくば万博があり、電電公社と専売公社が民営化され、KKコンビが甲子園をわかせたこの年の9月、ニューヨークプラザホテルにG5(日・米・英・仏・西独)の財務大臣と中銀総裁が一堂に会し、アメリカの「双子の赤字」を解消するため各国で協調介入することに合意した。その後の円高不況とバブルの契機となったといわれるプラザ合意である。
経済学者の森永卓郎氏はこれに先立つ8月、日本で起きたある事故が、現在のわが国の根因であると著書『書いてはいけない』で述べている。主権を奪われた今のニッポンの、アメリカのいいなりであるこの体たらくの、根因であると。
書いてはいけない
1985年8月12日、群馬県多野郡上野村御巣鷹の尾根にて生存者4名、死者520名と単独機としては世界最悪の、日本航空123便墜落事故。原因はアメリカボーイング社による機体尾部修理不良と設計上の欠陥であるとされている。
が、森永氏は、元日航客室乗務員でノンフィクション作家の青山透子氏らの著作を引きながら、事故原因は自衛隊による国産巡航ミサイルの洋上飛行実験にあるという。実験では標的をつけた無人標的機を飛ばしミサイルで狙うのだが、そのときに「突発的事故」が起こってしまったのだと。
つまり標的機かミサイルかが、伊豆上空で飛行中の123便の尾翼に命中したが、日本政府は(そしてアメリカも)それを知りつつも事故原因をボーイング社の修理ミスということにし、この「大問題」を隠ぺいしたのである、そういわれてすぐに同意できる方も少なかろうと存じますが、森永氏の主張は当時の目撃者の証言(現場付近の住人ら、直後に墜落現場に駆けつけた米軍ヘリの搭乗員など)や不可解な事故現場の状況(ジェット燃料では考えにくい完全に炭化した遺体、粉々になった第4エンジン)、コックピット・ボイスレコーダーや墜落機の飛行経路やその他さまざまな情報を綜合し、自身の経験を加味したうえでの推測ではある。
しかし翌1986年の日米半導体協定〈🔗〉というありえない屈辱を唯々だくだくと受け入れざるを得なかった理由が、この「大問題」の隠ぺいにあるという主張は、推測とはいえあながち捨て置けないものだといえるのではないでしょうか。なぜなら日本の半導体産業は、飛ぶ鳥を落とす勢いだったのですから。それがあたかも撃墜されたかのように奈落の底へ。
主権なき者の自由
他人に弱みをにぎられ、主導権を奪われていいなりになる人間の末路は容易に想像がつきますが、それを思えばバブル崩壊後のこの国の来し方は驚くにはあたらない。日米構造協議(1989~1990)、金融ビッグバン(1996~2001)、大店立地法(2000)、小泉HEYZOらによる構造改革(2001~)、郵政民営化(2007)といった新自由主義路線は、日本人を豊かにするためではなく、外国資本が自由に儲けられるためのルールのつくりかえでありますが、ルールとは強者がつくって弱者に従わせるもの。強者のいいなりになってルールを変えつづけているのは、今も変わらない。
規制などないほうがいい、自由な経済活動(競争)をうながせばイノベーションが生まれ、世の中はより発展するなどといくらのたまえども、新自由主義を支持する向きは一面しかみていない。規制とは牢獄の壁であると同時に城壁でもあるのです。規制を取っ払う、無駄を省くとは経営戦略としては善であっても国のあり方としては悪手でありましょう。人の生には、日本で暮らす人の生には無駄な生もあるというのなら話はべつですが、自ら城壁を取っ払うのが自由であるとは、自由と隷従のはき違えであり、新自由主義の「自由」とは見せかけの自由、強者により仕組まれた自由であります。
いつになれば、私たちはこの支配から卒業できるのでしょうか。
推測は推測であるとしても、いいなりであることは事実でしょう。
衰える一方やし。
これはもうダメかもわからんね。
いやいや、どーんといきましょう。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
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