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失ったものを忘れるために(2)

もし、幼なじみの親友、大人になっても数ヶ月に1回会うような奴に、もう数十年会えなくなったら、あなたはどう感じるだろうか。

青春を共に過ごし、あの子が可愛いよなと語り合い、最近あいつが調子に乗っていると憤り、一緒にお酒やタバコを覚えた、あいつ。

しかもその理由が、幼なじみが人を傷つけ、取り返しのつかないことをしていたことであるなら。

この文章には、友を批判する気持ちは一ミリもない。むしろ自分をより一層内省することとなったからこそ、文章を書いている。ぼやかしてわかりにくいこともあると思うが、大切な人を失ったり、裏切られたりした人に届くことを願って。

まず、(幼なじみの)親友が信じられないようなことをした、と聞いたらどう感じるのか。

例えば(あくまで例え)、親友が会社のお金を横領して捕まったら、信じられますか。もしくは、人の命を奪いかねない行為をしたと聞いたら、信じれますか。

私は、信じられない。まず、相反する2つの事実が私の中にあることを自覚する。親友が、幼なじみとして、幼少期から青年期(20過ぎまで)に一緒に、人を思いやることを大切にしている環境で育ってきた事実。

もう一つが、その親友が信じられないようなことをした、という事実。

私は、どちらが本当なのか、と悩む。そして、人間はきっと納得できない中途半端な状態が耐え難いから、なんとか、親友が信じられないようなことをする、と信じるための事実を見つけようとする。

無意識に私は、親友の悪いところ、もしかしたら何かやりかねない、と思える都合の良い事実を思い出そうとしている。まず、そんな自分に嫌気がさしていた。

そこから逆に、親友がなぜそんなことをしたのか、きっと何かの間違いで、気の迷いで、そんなことになっている。そう考えるようになる。

しかし、本当のところ何があったのかは、永遠にわからない。本人が話す言葉が真実かどうかなんてわからない(そもそも本人に会えない)どこまで行っても想像の域を出ることができない。

世の中で言われている真実や教科書に載っている歴史も誰の都合の良いように書かれている。何を正義とするなんて、簡単に決められない。誰が正義で、誰が悪なのかなんて、時代(の考え方・価値観)で簡単にひっくり返る。

いつも以上に、抽象的なことを考えないとやっていけないですね。

明日は、もうちょっと自分の深層心理を言語化してみようと思います。

(続く)

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