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「子育てはビジネスではない」に気づくまで

1on1でのあるパパの気づき。

「お子さんには、どんな子に育ってほしいですか」

サナフミから、ゆうやさん(仮名)に問いを投げかけたとき、「なんと言いますか、まともな人間になってほしいですね」と答えが返ってきました。そこから、この気づきへの深堀ストーリーが始まります。

ゆうやさんも、さすがに漠然としすぎていると感じたようで、自分が受けてきたことや足りないことをカバーして、まともになってほしいと付け加えました。
まだざくっとしていますね。

そこでサナフミより「まともな人間ってどんな人ですか」と問いを投げます。
ゆうやさんは、「どこでも必要とされる人」かつ「芯がある人」とお答えになり、少しずつ具体性が高まってきます。

具体的な人を挙げてもらうと、中学時代のサッカー部の先輩の名前が出てきました。キャプテンで、サッカーが上手くはないけど、人望がある人。とても賢いのに加えて、一番にグラウンドに出て雑用や球出しをしている。みんなにフレンドリーで公平に接する。

ゆうやさんにとって、まともな人の理想はこの先輩でした。
とても具体的で納得できたものの、サナフミとしては、どこでも必要とされる、の定義とこの先輩のイメージへのズレを感じます。そこで、サナフミは、「どこでも」は何を指しているのか、とゆうやさんへ問いを投げてみます。

ゆうやさんは、「どんな会社でも」という意味だと答えました。

なるほど。ゆうやさんがビジネスの文脈で、「まともな人間」というワードを使っているのだと。サナフミは理解しました。「芯がある」について聞いてみると、「自分の意思がある」「必要なときに、必要なことが言える」と定義されました。

ここもおそらく、ビジネスの文脈で語られているのだと、サナフミは推察しました。ここでサナフミは極端な問いを投げます。

「お子さんが仕事をしていない立場になっても、ゆうやさんはわが子をまともな人間と言えますか」

そこで、ゆうやさんは長考モードに入ります。

言葉ではまともと言えたとしても、本心はどうなんでしょう。きっと認められないのではないか、とサナフミは予想しました。すると、ゆうやさんは「言えないかもしれませんね」と自分の考えを反芻するかのように、お答えになりました。

もちろん「やっぱり」なんて言いません。ただ、私自身も共感できると思ったので、そのスタンスを認めつつ「仕事をしているわが子と、していないわが子は何が違うのでしょう」と問いを続けます。

サナフミとしては、仕事=お金をもらうこと だけではないと捉えています。「誰かの役に立っている」それが、違いだと考えました(ただ、ゆうやさんは給与をもらうこと=仕事と捉えていたかもしれません)

このあたりはあえて、解釈の幅をもたせた上で、翻って自分が自分のことをまともな人間と思った場面はあるでしょうか。また、必要とされた場面っていつでしょう、と話を進めます。

すると、みんなが言いにくいことを自ら発言する。周りの人が本当は嫌だなと思っているけど言えないことを察知して、自分がその汚れ役をする。そういった場面で、自ら献身的な行動をすることで、いろんな場面で必要とされる存在になっている。そのようにゆうやさんは、語りました。

その話からゆうやさんは、「ビジネスに限ったことではないですね」と一言つぶやきした。学校生活での一場面や友人関係の中での自らの行動を振り返って、そのように感じられたようです。

働くパパが多い世の中、いつの間にかビジネス(会社)の論理を子育て(特に子どもとのコミュニケーション)において、当てはめることが多くなりがちです。しかし、当然子どもはビジネスだけをしていくわけではなく、人として自らの人生を生きていくわけですよね。

パパとしては、子育てを考えるとき、どこか「子どもの将来キャリア」をメインに考えていないか自問自答していく必要があるのかもしれません。

ビジネス書ではなく、小説を手に取るように、子どもの将来のキャリアではなく、子どもの将来の家庭やプライベート(趣味)などを考えてみてはいかがでしょうか。


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