心から出た言葉に、曖昧さはない。
「今日のお弁当はすごいよ、期待してて。絶対好きなはず」
家を出るとき、奥さんは私にそう言い切った。
私の感覚からすると、「期待してて」と自ら相手の期待値を上げるような言葉はあまり使わない。まして、絶対とか言葉は選ばない。
けど、その素直で真っ直ぐな物言いに、その言葉を不思議にも自然と受け入れることができました。ストレートに言葉を伝えられる人の魅力を感じた朝。この不思議な気持ちを掘り下げてみたいと思います。
なぜそのようなことが言い切れるのか
奥さんは、この料理(ちなみにオムライス弁当)なら絶対に夫が喜ぶことを確信していた。なぜなら、過去の10年以上の付き合いからはじき出した、データがあるから。
これが一般的な30代男性だったら、「絶対」とは言い切れなかったはず。長年付き添っている夫のことだからこそ、言い切れたのだと思います。
これはビジネスにおいても応用できる気がします。
ビジネスは、できるだけ客観的なデータと言いますが、相手(顧客)のことをよくわかっているのであれば、あえて言い切る形で提案しても良いのではないか、と思ったりします。
「この商品は絶対に喜んでもらえます」の言葉の重みが違います。
さらに、よく奥さんの様子を思い出すと、すでにお弁当を渡す時点で「私、とっても素敵なお弁当を作ることができた」と達成感を持っているようにも感じた。相手のことを一生懸命考えて、絶対に喜んでくれるようなものができた。それだけですでに奥さんは嬉しかったのではないでしょうか。(この仮説が正しかったら本当に素晴らしい)
人間って、他人に貢献できたときに喜びを感じる、と言ったりしますが、貢献した姿を想像して喜ぶレベルまで進めるのかもしれません。
まあ、そんな難しいことを考えていないと思いますが、心から良いと思ったことをストレートに伝えると、なんとも純粋に心に響くものであります。
話は変わりますが、
先日、美容院に行った時、いつも担当してくれる方が「今日は新しいハサミを試しました」と話してくれました。角度が少し違うだけで、切る量が変わってしまう。そんな扱いの難しいハサミ。
少し不安そうな顔をした私をみて、その方は
「大丈夫です。今日の出来も完璧です」
と言い切りました。
自分で美容師として独立をし、店を構えている人は違うなって思いました。どこまでも自分がプロとして仕事をしている。完璧なのは当たり前、そう言わんばかりのんタイミングと語気でした。
言い切る。
なかなかできないことですが、この人だけに、この場面だけでも、と自分の本音が出せるところで、言い切ってみたいです。