たとえ当事者じゃなくても ー Sheでも Heでもない ‘’They’’
りゅうちぇるさんの死
7月12日、りゅうちぇるさんが亡くなったというニュースが報じられました。私は日本のテレビが見られないので、りゅうちぇるさんの活躍されている姿も見たことがなかったのですが、やはりショックでした。
日本では6月には、LGBT理解増進法案が国会で可決されたばかりでした。これは、当初の案にあった、「差別は許されない」という文言が「不当な差別はあってはならない」と弱められるなど、問題が残るものではあります。
が、少なくともこの法案を機会に、関連書物の売りあげランキングが上昇するなど、国内での議論や関心は高まったようです。
3人称単数でも‘’They‘’を使う
りゅうちぇるさんの死を報じる7月13日のBBCの記事にはこうあります。
「Ryuchellは日本におけるLGBTの影響力のある人物となり、ジェンダーレスな着こなしで有名になった。・・有名になるにつれ、ネット上では、その私生活や性別不適合を批判する数々のソーシャルハラスメントキャンペーンが行われた。」
国を問わず共通する大きな問題だから当然、海外メディアでも取り上げあげられるのですね。そして、この記事を読んでみて気づいた、というか、学んだことは、Heとか Sheを特定しない、されたくない場合は、‘’They‘’を使うんだ、ということです。
イギリスで飛行機のチケットなどを購入するときは、必ず名前の前に付ける称号を Mr, Miss, Mrsから選択させられるんですが、そういこと一つとっても性自認の問題を抱える当事者の人は苦しいんだろうな、と思います。
そして、たとえ当事者じゃなくても、私たちは当事者の方たちについて「想像力」を働かせることはできるはず。それはどんな人権問題でも同じですね。
上川あやさん
私はヒューマンライツ(人権)を専門にしてるんですが、性自認やトランスジェンダーについてきちんと話を聞いたのは、せいぜいやっと2014年ごろでした。性同一性障害・トランスジェンダーの当事者である、上川あや世田谷区議会議員の講演を聞いたのです。
上川さんは男性として生まれ、大学卒業後就職するまで苦悩を抱えながら、男性として生活するのですが、1998年、30歳の時に精神科医から性同一性障害と診断され、女性としての人生に切り替えていきました。戸籍上の性別変更などの法律の問題に直面したことをきっかけに、自ら議員になることを目指したそうです。
上川さんのお話は、穏やかに淡々と語られるのですが、内容はひどい屈辱や差別、葛藤、苦悩の経験のお話でした。恥ずかしながら、私には初めて聞くことばかりでした。そういう苦悩を経験している人がいるということなど、知らないことばかりでした。人権を専門にしている私ですらそんな感じでしたから、一般の人たちの間での認知や理解は、当時はまだまだだったのでは、と思います。
Gちゃんとのピアノ連弾
今から20年以上前、私が留学する少し前のことですが、「G君」とか「Gちゃん」と呼ばれていた友達がいました。私にとっては年下の弟みたいな男友達でした。ピアノが上手で、身体も手も大きくて、リストの曲なんかも問題なく弾きまくっていました。
そんなGちゃんと、私が渡英する3週間ほど前に、一緒に所属していた教会のサマーコンサートで二人でピアノの連弾をすることになりました。選んだ曲は「剣の舞」と「軍隊行進曲」。
Gちゃんは「いつか誰かと剣の舞を連弾したい」とずっと思っていたそうで、光栄にも(?)私が連弾の相手に抜擢されたのです。そして、練習中よく「ダメだよ早苗ちゃん!」「ここはこうだよ」って厳しく言われたものでした。その言い方がちょっと女性ぽくってなんか、ほかの子とは違う「かわいさ」がありました。そういえば、同じ年代の仲間でも、Gちゃんが親しくしていたのは数人の女の子の友達でした。
コンサート当日、私がいつも失敗しがちな部分もどうにかクリアして、無事に演奏終了。会場は大きな拍手喝采でした。Gちゃんも大喜びで、私にとっても日本を発つ前の本当に良い思い出になりました。
実は苦しんでいた
それからずいぶん経って、数年前に私が一時帰国した時のことです。実はGちゃんが自死した、とほかの友人から聞かされたのです。理由は性自認による苦しみからということでした。
「ええ?あのGちゃんが死を選ぶって?!」どれほど悩んでいたのでしょうか。私は全く知りもしなかったのですが。
いつも一緒に冗談ばかり言って笑って過ごしていたのに。二人でピアノを練習してた時も、苦しんでいたのでしょう。
今もそれを思うと、とてもつらいです。でも、あの時、たとえあの時に、私に心を開いて話してくれていても、当時の私には理解できただろうか? 全く予備知識もなかった私に・・。Gちゃんも「誰に話しても理解されないだろう」と判断したのかもしれません。
たとえ当事者じゃなくても
私たちは、たとえ人権問題の当事者でなくても、たとえ当事者意識が持てなくても、一人一人が「想像力」を働かせることはできるはずです。まずは関心をもって理解する、理解しようとする、ということから始まるのだと思うのです。
それはどんな人権問題でも同じでしょう。入管収容も、障害者も、性被害も、貧困も、人種差別も、なんでもそうではないか、と思います。また、すべての人権問題は決してバラバラなのではなく、つながっています。
「思いやり」だけでは人権の実現には不十分ですが、当然、思いやりや親切も重要です。そして当事者への関心も理解しようとする思いもとっても重要だと思います。
「国際人権は常に発展している」
あれはもう20年以上前のことです。あの頃LGBTQなんて言葉はたとえ存在していても、一般にはほとんど知られていなかったと思います。
人権問題というのは、当事者や擁護者が声を上げる、長年の運動の積み重ねと、社会自体の変化によって、だんだんに認識されていくのですね。これは、先住民、女性、子ども、障害者などの権利もそうです。だから「国際人権は常に発展している」といわれるわけです。
ぜひ、拙著『武器としての国際人権』1章をご参照ください。
もっと「人権」が普通に話される社会に
Gちゃんに関して思うのは、例え「彼」であっても、ある時から「彼女」になっても、私にとっては、同じようにかわいくて、ちょっと生意気なGちゃんでありつづけただろう、ということです。
そして相変わらず「ここはこう弾かなきゃだめだよ早苗ちゃん!」とか言われながら一緒にピアノの前に座ってたんだろう、と。
LGBTQへの理解がもっと進んでいたら、Gちゃんの自死も避けることができたのかもしれないです。
そういう悲劇が繰り返されないためにも、もっと「人権」が普通に話される社会になったいいな、と思います。