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詩誌「三」76号掲載【屋上】石山絵里
高層ビルに囲まれた空は、いつにも増してどんよりとしている。
今にも泣きだしそうなのは、空か、それとも私の方か。
昔住んでいたマンションの屋上は立ち入り禁止だったけれど、屋上に通じる扉が施錠されていない日が時々あった。最上階に住んでいた私は、そのことをいつからか知っていた。週に一度くらい、扉を確認するため、屋上階へ上がる。屋上で何をするわけでもない。小一時間、ぼーっと景色を見たり、大の字に寝転がって空を眺めたりするだけなのだが、そこは私にとってどこよりも居心地のいい場所だった。
ところがある日、屋上のことを私はうっかり母に話してしまった。あまりに素敵な場所だったから、秘密にしておくことができなくなってしまったのだ。当時、私はまだ子どもだったので、母は万が一のことがあってはいけないと思い、管理人に話したのだろう。(屋上に手すりなどはなく、今思うととても危険な場所だった。)それからというもの、扉は必ず施錠されるようになり、屋上には二度と立ち入ることはできなくなってしまった。
仕事帰り、会社を出てすぐ右折すると、駅の方に高層ビルが見える。いつも私はあのビルの屋上の辺りを見上げてしまう。あそこに一人、人影が見えはしないか。屋上のへりに立って、見下ろすように立っている少女の影が。
時々ふと考える。子どもだった私が何かのひょうしでうっかり屋上から転落してしまっていたら。母に屋上の話をしたことを、あのころ悔やんでいたけれど、私が今もこうしていられるのは、あの日のおかげかもしれない。何かがどこかで違っていたら、今、私はここにいなかったかもしれない。
高層ビルの屋上に、人影があったら。その人影が私の目の前で転落したとしたら。いつも私は想像するけれど、そんな人影など一度も見たことはなかった。様々な恐ろしい想像をしては、体が震えあがりそうになる。のどの奥が苦しくなって、泣いてしまいそうになる。昼間だったらまだいいけれど、眠れない日にあれこれ想像が始まると、本当は私の知らない現実の世界が別にあって、私が現実と思って生きているこちらの世界の方が夢なのではないか、と思えてしまうことがある。
今日も、高層ビルの屋上を私は見上げる。確かに人影はない。ないはずなのだが――。
2024年12月 三76号 石山絵里 作