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詩誌「三」75号掲載【詩のトークバトン】
飯塚 自分の書いた作品の中で思い入れのある作品を教えてください。複数でも構いません。理由と一緒に教えてください。
私は二つあって「その花がいつも呼んでいる」(31号)と「今夜、きみが魔女になる」(59号)という作品です。
前者は詩を書き始めてから、初めて自分で満足できた作品です。とても個人的な思い出から生まれた作品なので、きっと自分にしか書けないだろうと(その時は)思えたこと、自分の頭の中でイメージした光景を上手く文中に落とし込めたと思ったことがその理由です。そして、満足してしまった結果、それからしばらくは書くことに対する意欲がなかなかわかなかったことも含めて思い出深いです。
後者は、アイディアはずっと前からあったものの、「男子から見た女子の不思議さ」が根っこにあるので、女性がどう思うか分からず寝かしていた物でした。それを、結婚してからこのアイディアについて話し、女性の視点で感想をもらいながら仕上げた作品です。一人で考えるのではなく、相談しながら書くというのはそれまでになかった経験で、とても楽しく書けたことを覚えています。
次はこの三で一番多くの作品を書いている石山さんにお願いします。
石山 「今夜、きみが魔女になる」の方は、タイトルを聞いて、何となくどんな作品か思い出せました。59号を本棚から引っ張り出して読み返してみたけど、飯塚くんらしさもありながら、思春期女子の秘密に迫るというのは、これまでの飯塚くんの作品からしたら珍しいテーマの作品だと思いました。「思春期女子が、年頃になると魔女になる」というのは、生々しさがなく、コミカルに読めるところがいいね。タイトルもいい感じです。
「思い入れのある作品」と言われて真っ先に思い浮かんだのは、46号(2017年夏号)の「握手」という作品。私たち三のメンバーの恩師である梅田先生のことを書いた作品です。先生は二〇一三年に亡くなられましたが、作品を書けなくて焦っている私の目の前に突然現れて、「書けないのなら、『書けない』ということをあなたなりに表現してみたら」とアドバイスしてくれた、という内容の作品です。書くって楽しいことだと気づけた作品で、これを書いている時は、トランス状態だったというか、気持ちがすごく高ぶっていました。書いた後も、何だか満たされた気持ちになったことを覚えてます。作品の中で私が先生の前で涙を流すんですけど、本当にそんなテンションで書きました。作品を通じて本当に梅田先生に会えたような感覚もあって、私の中で特別な作品です。今でも、書けない時はこの作品のことを思い出す。すると、不思議と何かは書けるんですよね。本当に先生が天国から助けに来てくれたのかもしれません。
次は、正村さんお願いします。
正村 「握手」はまさに梅田先生の声が聞こえてくる作品ですね。今回改めて読み返してみて、目の前に先生がいるようでした。特に、「ははは」と先生が笑うところ、笑い声が鮮明に蘇ってきました。私もまた、先生に会いたくなりました。
自分の思い入れのある作品は、「あなた」(57号)という作品です。小さな子供の命を奪う悲しいニュースに触れて、どうしようもない気持ちを抱えてしまい、詩にしたいと思いました。ニュースに触れただけの人間が会ったこともない誰かについて書いていいのか、無責任で傲慢じゃないかとすごく悩みましたが、吐き出さずにいられませんでした。不安を抱えつつ挑んだ作品です。作品としてうまく伝えられたかはいまだに不安ですが、やりきれない感情と自分の中で向き合えたとは思います。
次は水谷さんお願いします。
水谷 皆さんの思い入れのある作品、について聞かせていただき、うらやましくなりました。
正直なところ、自分の作品はどれもだいたい大好きで、どれもけっこう大切で、そしてどれもそれなりに気に入らない。という気分でいつもいます。
わずかながらに差がある気もするけれど、どれかに決めようとすると他のいくつもが心にくっきりしてきてしまって、選ぶのが難しいです。
よく褒められたな、という詩は覚えていたりするけれど、それは詩への思い入れに比例しなく、残念ながら逆もしかりです。
そして多分、こうなってしまうのは、感情や出来事に出来るだけ甲乙をつけたくない、という私の意地だとも思います。
飯塚 今回この質問をしようと思った理由は、小説のあとがきで作品の成り立ちや背景を読むのが好きで、三もここまで続いてきてみんなのそういう裏話みたいなのが聞けたらな~、というのが理由でした。
石山さんの「握手」、これはタイトルを読んであの作品だ!と思い出せました。正村さんも書いているけれど、本当に梅田先生の声が聞こえてきそう。改めて読み返すと、文章に勢いがあって「書くって楽しいことだと気づけた」というのがにじみ出ている気がします。ランナーズ・ハイという言葉があるけど、ライティング・ハイも絶対にあると思う。
正村さんの「あなた」は率直に言って思い出せなかったので、読み返しました。個人の経験や完全な空想以外ではない、実際にあった事件、それも歴史上の出来事ではない事件を書くのは、本当に難しくて勇気がいると思います。この号のあとがきでもこの作品を書く上での葛藤が書かれていて、正村にとってとっても大きな作品だったんだと感じます。
自分のところで書いたけれど、満足した結果として、書く事に対する意欲が減退した事があります。なので、水谷さんの「どれもけっこう大切で~」というのは、書き続ける上で結構重要だと思いました。そして「感情や出来事に甲乙をつけたくない」というのは意地というより、矜持だなと思います。作品ではなく書くことへの思い入れが聞けた気がします。