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詩誌「三」75号掲載【恋と呼ぶには美しすぎる】飯塚祐司

結城美春が生まれたのは、東北の小さな町だった。そこは冬は空っ風が吹き、降雪は少ないものの、乾燥して寒さが厳しい土地だった。その年は寒さはそれほどではなかったが、土地の古老でさえ記憶にないというほど雪の多い年だった。美春が生まれたのはそんな冬の最中だった。当初見慣れぬ雪景色に喜び美雪と名付けようとした彼女の母は、あまりに降り続く雪に次第に嫌気がさして、美春と名付けたのだった。もしも美雪のままだったら、違う人生だったかもしれないね。その話をするとき、決まって美春の母は笑いながらそう付け加えた。

高校までその町で過ごした美春は、大学進学を機に町を離れた。選んだのは、東北でも有数の大都市だった。娯楽の乏しい町で少女時代を過ごした美春にとって、数少ない楽しみが読書だった。決して裕福とは言えない家で、おもちゃは年に一回誕生日の時にしか買ってもらえなかったが、両親は本にだけは寛容で、美春がねだればいつでも新しい本を買ってくれた。もっとも、町に一軒しかない本屋は子供向けの本や漫画など碌に置いていなかったから、中学に上がったころには池波正太郎や藤沢周平を愛読していた。都会の大きな本屋なら、鬼平犯科帳の二十五巻が売っているかもしれない。決して両親には言わなかったが、それが進学先を決めた理由だった。

卒業した美春が就職したのは、中堅どころの地方出版社だった。与えられた机は長く使われていなかったようで埃が積もっていたが、入社初日にピカピカに磨き上げてから、以降はそこが美春の城となった。口下手で人見知りだが根気強く、活字に慣れた美春にとって、配属された校閲の仕事は天職のように思えた。唯一の難点は資料室の書架の背が高く、小柄な美春にとって上の方の資料を取るのが一苦労な事だった。書架と書架の間が狭く、脚立を立てるのも難しかったから、つま先立ちで大きく背伸びするしかなかった。最上段に置かれた本はどれも大きくて重たい辞典類だったから、それを取るとき周りはいつもハラハラしていた。最初の内は見かねた隣の席の男性社員が代わりに取ってあげることもあったのだが、その後途端に不機嫌になってしまうので、見守るしかなかったのだった。

私が初めて美春と朝食を一緒に摂ったときの事だった。朝が弱いという彼女に、トーストと目玉焼きの簡単な食事と、眠気覚ましにインスタントコーヒーを淹れて用意した。会社での休憩時間、休憩室の自販機でブラックコーヒーを買っているのをよく見ていたので、砂糖もミルクも用意しなかった。私もコーヒーはブラック派なのでそれは好都合だった。いかにも低血圧そうな表情のわりに、寝起きの彼女はトースト二枚と卵をぺろりと平らげたが、コーヒーはあまり減っていなかった。カップを持ちながら向けられた何か言いたげな視線に、たまたま何かを買ってきた時についてきたスティックシュガーを差し出すと、

ありがとう

そう言って、少し恥ずかしそうにカップに入れた。それ以降、我が家にはスティックシュガーが常備されるようになった。

結城美春という名前を見たのは、鯨幕の前に立てかけられた看板だった。たまたま犬の散歩の途中で見かけたもので、故人とは無論何の面識もない。若い参列者の方が多かったから、きっと若くして亡くなったのだろう。痛ましさを感じたが、それ以上のものはなかった。ただ、初めて目にした故人の字面と音の響きが、なぜか陽が沈んだ直後の西の空の色に似ていると思った。
自慢ではないが人の名前を覚えるのが大の苦手で、電話でしか話さない担当者の名前など何度聞いても覚えられない。そんな私だが、不思議と一度見ただけのその名前が忘れられなかった。電車に揺られている時や、夜眠りにつく間際にふと思い出された。どこで生まれ、どこで育ち、どんなものが好きなのだろう。気が付くとそんな事を考えていた。あるいは、故人に対する侮辱ではないだろうか。そう思って何度か忘れようともしたが、想像を止めることはできなかった。既に私の中で結城美春はただの文字と音ではなく、温もりと陰影を持った一人の人間としてそこにいた。

いつしか、美春は私と同じ出版社に入社して、ずっと空席だった私の隣に座るようになっていた。想像の中に私自身が登場するようになり、それまで知らなかった美春の声や表情が鮮明となった。彼女と一緒に食事をして、真夜中まで好きな小説を語り合った。彼女に付き合って、それまでブラックで飲んでいたコーヒーに、砂糖を入れるようになった。それは甘かったが、しかしどうしようもなく苦かった。砂糖は瞬く間に溶けて、カップの中に広がっていたのは、星のない冬の夜空のような色だった。春は、どこにもなかった。

その苦みを、

その色を、

失恋と呼ぶ事は、私のわがままだろうか。

2024年9月 三75号 飯塚祐司 作

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