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詩誌「三」46号掲載【握手】石山絵里

〆切が近いというのに、書き出しの一行目さえ決まらなくて、グズグズしていると、四年前に他界した学生時代の恩師・梅田先生が目の前に現れた。ほほ笑みを浮かべてこちらを見ている。

「詩を書けなくて困っているようだったので、ちょっと様子を見に来ましたよ」

先生に会うのは六年ほどぶりだろうか。つい先日も会ったかのように、ふらりと現れたものだから、こんなこともあるのか、と思ってしまった。卒業後も詩を書き続ける私を、いつも励ましてくれていた。決して人を責めたりしない、穏やかな先生。「僕、ウエハース大好き!」なんて言う、無邪気な先生。学生たちからも慕われて、先生の人柄で現代詩ゼミを選んだ、というゼミ生もいた。

「恰好つけたり、気取ったりしなくてもいいんです。難しく考えることはない。書けない時は、書けないということを、あなたなりに表現してみてはいかがでしょう」

机の上には、形にならなくてビリビリに破いた下書きの紙が何枚も散乱している。ああでもない、こうでもないと、もがけばもがくほど、自分の書きたいことがわからなくなることもある。先生は、書けない時や、思うようにいかなくて悩んだ時、どうやって乗りきってましたか? それから、ポツポツと私は話し始めた。詩のことから始まって、近況報告、最近あった、ある人とのすれ違いや、腹が立ってしまったこと、嬉しかったこと、弱音や愚痴も。こんなこと、先生に言っても仕方ないですね。ごめんなさい。そう思ったりもしたけれど、止まらなくなってしまった。先生は、時折困ったような表情も見せたけれど、「うん、うん」と、噛みしめるように頷いて、話を聞いてくれた。ははは、と笑うこともあった。いつもの先生だ。そうして、何時間経っただろうか。涙をうんと流して、自分の中のモヤモヤをたくさん吐き出せたせいか、私は何だか清々しい軽やかな気持ちになっていた。何か、書けるかも。そんな気持ち。

「あなたは、もう大丈夫。今日は会えて良かった。またいつか会いましょう」

と先生は立ち上がって、右手を差し出した。白くてほっそりとした先生の右手を握る。そうだ。卒業式の日もこんなふうに先生と握手をした。あの時みたいに、先生は私の手を強く握り返した。少し、痛みを感じるくらいに。あの時も私、ボロボロに泣いていましたね。子どもみたいで恥ずかしい。だけど、先生のお陰で私は詩を書く喜びを知ったから。仲間も得たから。十年以上前の、あの握手の時に見た光景や、感情がよみがえってくる。二十二才だった私。目の前にいた先生。握手をほどくと、右手がジンとした。「じゃ」と私に背中を向けると、先生は振り返ることもなく扉をパタンと閉めて、部屋を出て行ってしまった。追いかけようと立ち上がって扉を開けたけれど、先生の姿はどこにもない。ふう、と大きく息を吐き出して、涙で濡れた顔を洗って、心を落ち着かせると、もう一度私は机に向かった。大丈夫。書きたいと思うことを、書こう。そう思ったら、不思議なくらいにスルスルと言葉が出てきた。何だか楽しい。ペンを走らせる私の右手に、迷いや焦りは無くなっていた。

2017年6月 三46号 石山絵里 作


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