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詩誌「三」59号掲載【今夜、きみが魔女になる】飯塚祐司

その日、僕は見た。東の空に赤い三日月が浮かぶ夜。隣の家のベランダから、黒猫のステッカーが貼られたスケボーに乗って、幼馴染のあの子が空に飛び出していくところを。

僕がそれを知ったのは、中学校に入ってすぐの保健体育の授業の時だった。男女別々の教室で授業を受けるのは何時ものことのはずなのに、その日は妙に気になったのだ。その日授業をするのが、普段職員室の奥でお茶を飲んでいるだけで、何の教科の先生かも分からないおばあちゃん先生だったからかもしれない。教室を出て行った女子が気になった僕は、お腹が痛いと言って抜け出して、こっそり隣の教室を覗きに行った。音を立てないようゆっくりと扉を開けると、教壇の前に立つおばちゃん先生の姿が見えた。教科書の代わりに何故かほうきを持っていて、教室を見渡しながらゆっくりと言った。女子は誰でも一度は魔女になるのだ、と。ビックリした僕はそのまま慌てて教室に帰り、長いトイレだと笑われた。それ以来、誰にも言えず忘れかけていたけれど、空を飛ぶあの子の姿を見て、その話を思い出したのだった。

翌日の昼休み、僕はあの子を屋上に呼び出した。メールを送った後急に緊張してしまい、しばらくして届いた返信のメールは結局開けなかった。弁当もほっぽり出して屋上でうろうろしながら待っていた。訝しげな表情をしてあの子が来たのは、昼休みも半分過ぎたころだった。いつものように、友達とお弁当を食べた後かもしれない。何か口を開きかけた時、遮るように上ずった声が口から出ていた。

昨日の夜、見たんだけど

そう言うと、顔を真っ赤にして俯いてしまった。

お願い、誰にも言わないで

その恥ずかしそうな顔を見て、ふとこうやって話すのはいつ以来だろうとそんな事を考えていた。

あの日、あの子と話したことを、僕は今でも覚えている。人によって差異はあるが平均十三~十五歳の間に女子は魔女になるのだということ。魔女になることは男子には絶対秘密なのだということ。魔法は夜の間だけしか使えないということ。そして、あの子はポケットからおばあちゃん先生からもらったという、透明なポーチに入った薬を見せてくれた。

魔女になってから一週間以内にこの薬を飲まないと、一生魔女のままなんだって

そう言われて何と答えて良いか分からなかった僕は、昨日から気になっていたことを聞いていた。

何でスケボーなの?普通ほうきじゃないの?

ほうきなんかに乗ったらお尻が痛くなるじゃない

そう言って彼女が笑った時、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。階段へ向かう途中、あの子が振り向いて言った。

わたし、今日で一週間なんだ

その夜、昨日と同じようにスケボーに乗って空に飛び出していくあの子を見た。夜目にも分厚い雲が覆い、今にも降り出しそうな空模様だった。僕は電気を消し、カーテンの隙間からじっと外を眺めていた。少しずつ風が出て来て、窓に映る庭の木の影が揺れていた。幼いころ、それを見ておばけみたいと泣いたのは、僕だっただろうか。あの子が戻って来たのは、日付が変わる直前だった。

直後に降り出した雨は夜半にかけて勢いを強め、窓に当たる雨音が響いたが、朝にはすっかり止んでいた。翌日、家を出ると丁度あの子も家を出てきたところだった。

おはよう

そう言うと、水たまりを飛び越えて学校に駆け出した。少しだけ間を空けて、僕も学校に向かった。水たまりを避け損ねて、靴が少しだけ濡れた。

結婚して、妻に何度か魔女について聞こうと思ったが、結局言い出せないままだった。部屋の扉がノックされ振り向くと、来年中学に上がる娘が立っていた。

お父さん、ごはんできたって

この子もいつか魔女になるのだろうか。そう思って、ふと尋ねてみた。

なぁ、スケボー欲しくないか?

一瞬何のことを言っているのか分からないような顔をしたが、すぐに呆れたように笑われた。

要らないよ、そんなもの

2020年9月 三59号 飯塚祐司 作

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