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されど空の青さを知る

近々、大学時代に仲が良かった友達と会う。退職して地元に帰ってきたものの、ご時世柄会えないまま2ヶ月半が経ってしまった。

LINEで軽い近況報告はしているもののちゃんと話せるのは久しぶりで、それぞれの近況報告に花が咲くことになるだろう。とっても楽しみ。

「なぜ仕事を辞めたのか」「なぜ地元に帰ってきたのか」「これからどうするのか」などなどを聞かれるかなと思って、自分の中の思考整理がてら文章にしてみようと思う。


どんな仕事をしていたか

岐阜の山奥に本社を構える老舗家具メーカー。
職人の心や技術を大切に受け継ぎ、約100年の歴史がある。


入社時は漠然と ”東京に行きたい” 気持ちがあり、”デザインや設計の仕事は向いていないかも” と思っていたので、東京の営業職で希望を出した。が、希望通らず岐阜の山奥本社で「営業企画」の配属になった。結果、これが本当に良かったと思う。


大学の卒業制作で打ちのめされた後だったので、デザインはもういいやと思っていた。が、少しだけ触れたイラストレーターやフォトショップのスキルが活かせて仕事はとても楽しかった。
あまり好まない表現だけど「なんでも屋」と言われる部署で、同業の友達に話すと驚かれるくらい、多岐にわたる仕事を経験した。

・カタログ作成(全て自社でやっていたので商品撮影・デザイン・文字校正・入稿)
・販促物作成(ポスター・店頭POP・チラシ・DM)
・ホームページ担当(簡単な更新・制作会社へデザイン指示)
・インスタグラム担当
・その他プロジェクト(アロマ事業・工場案内・展示コーディネートなど)

入社1年目でも「興味あります」と言えば担当させてもらえる、とてもアットホームで自由な職場だった。

大学の研究室時代に培った【論理立てて組み立てる建築的思考】【デザイン=問題解決という考え方】【建築〜家具までスケールを横断したデザイン思考】が自分の基礎土台となり、本当に役立った。あの研究室で良かったと社会に出てから恐ろしいほど痛感した。

デザインのスキルに不安があった


本来は広報や企画の仕事がメインである部署だったため(?)か、デザインの専門知識がある人が周りにいなかった。だから全部手探りで、チームみんなで『こんな感じだよね』と突き進んできた感じがあった。
(他の企業で働いたことがないから他がどうなのか分からないが)

それが3年目になり自分の首が回るようになると、急に不安になることが多々あった。
「今のデザインレベルに満足して良いのか」「そもそも正解がわからない」「社内で聞く人それぞれによって答えが違う」……。

それでも仕事は湧いてくるし、後輩も入ってくる。チーム全体のスキルに不安を覚えるけど、私にはこのチーム内でデザイン論を振りかざせるような自信もスキルも役職もない。

「まあでもデザイン会社じゃないしさ」「メーカー内の小さな部署だ」「デザイン以外にもやることがたくさんある」とどこか割り切りながら毎日を過ごした。


コロナによる価値観の変化


社会人4年目の終わり頃、新型コロナウイルスが流行し始めた。
田舎で車通勤だったためテレワークになることもなく、日々の仕事に特に大きな影響はなかったが、残業圧縮や休日が少し増えたりして自分の時間がとても増えた。

嫌でも自分の将来について考えてしまう。周りは結婚したり子供が出来たり、自分はこのままでいいのか?と自問自答が続いた。

一人暮らしにとって出かけられない、人と会えない連休は苦しいものだ。それまで月に1〜2回は実家に帰省していた。車で片道約3時間半の距離だったが、実家の愛犬を溺愛しているのと、ショッピングモールのない田舎の休日は持て余してしまうことが多かったからだ。

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愛犬(さん太)


しかし、会社から県外への外出自粛令が出て何ヶ月も実家に帰れなくなった。その時思った。

「会いたい人や大切な人にすぐ会えない場所に、なぜ私はあえて住んでいるのだろうか。」

無論、そこでしか出来ないことや大切なものがあれば別だ。きっとこんなことは思わなかっただろう。

しかしその時の私は、仕事は新しい刺激に欠け、物足りなさを感じていた。パートナーがいて、この長閑な土地での結婚や子育てを想像できる状況だったら、産休も育休も取れてママさんの先輩もたくさんいたし、手放したくない環境だったかもしれない。

でも私には何もなくて、言い換えればとっても身軽だった。


それから転職を考え始めた。
いつ収まるのか誰も分からないコロナ時代。『こんなときに転職なんて不安だ』という意見をよく耳にした。

もう少し様子を見ようかとも思ったが、「一年後よくなる保証は?」「このまま歳だけとってゆくよ?」と ”現状維持” の方が不安になった。それに「いざという時、会社は守ってくれるのだろうか」と疑問にも感じた。

休憩やお昼の時間には「また過去最高の感染者数だって」「テレワークにならないのかな」「市内でコロナ第1号が出たらしい」そんなやり取りが飛び交い、しょうがないけれど心がとっても疲れた。

「このザワザワから遠ざかって静かな場所に行きたい」
「今こそ、会社という船に身を任せるのではなくて、自分の足で立っていたい」と思った。

ちょうど担当していたプロジェクトが一段落するタイミングだったのもあり、退職を決意した。「勢いも必要だよ」という友達の言葉に背中を押され、次も決めずとりあえず辞めることにした。(その時のことをこちらにも書いています。)


卒業だと思った


こうやって振り返ってみると、退職決意は思い半ばに過ぎるが、何が理由だったかと言うとうまく端的に説明できない。(この記事を書けば言語化できるかと思ったのだけど……)
苦し紛れにまとめてみると、以下の3点だろうか。

1.自分のスキルがどのレベルなのかを試してみたくなった
 (よくある就活界隈の言葉だと 自分の市場価値を確かめたい)

2.なんとなく地元に帰ろうと思った
 (環境を変えたい、漠然と次のステップに行く時期だと思った)

3.なんとなく個人で働いてみたいと思った
 (1にも通ずる部分、自走してみたくなった)




小学校や中学、高校はそのコミュニティの中で学ぶことを学んだら、次のステップが用意されている。自然とみんな階段を上っていく。会社だって、卒業と思えばいいのではないか。ふと、そう思った時があった。

なので、理由は?と聞かれたら上記を答えるかもしれないが、自分の中では「卒業したんです」くらいな感じだ。

それでも、中学や高校の卒業と違って、自分の意志で皆が乗っている船から降りる決断はとても寂しくつらい部分もあった。でも自分で選んだからには、この経験を糧に次のステップへと進んでいくしかない。

井の中の蛙大海を知らず


最終日に皆の前で話す機会があった。
ここまでいろいろ書いたけど、とてもあたたかい人達ばかりで、約5年住んだ土地も大好きになっていたから、一週間前からすでに悲しさと寂しさに押しつぶされそうだった。だからちゃんと話せるように予めカンペも用意していた。

その時話したスピーチの一部。

1〜2年目の私は、「井の中の蛙大海を知らず」にならないように、と強く思っていました。今思えば会社やその土地のことを全く知らないで利己的な考えだったなと思います。

最近このことわざに続きがあることを知りました。

「井の中の蛙大海を知らず されど空の青さを知る」
ー 狭い世界で一つのことを突き詰めたからこそ、その世界の深いところまで知ることができた ー

狭い世界だと勝手に思っていた場所は奥が深くて、ほかにはないものがたくさんここにありました。

私は約5年働いたこの会社で多くのことを学ばせてもらった。たくさんのことを知り、経験し、自社の商品も大好きになった。
「今の自分がここで学べることは学べた」そう思える。

だからこそ、卒業して次のステップへ進みます。

次のステップで自分がどこまでいけるのか、試してみようと思う。



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なぜ辞めたのか〜どう働きたいか、を書こうと思っていたけれど、こ〜んなに長くなってしまったので、どう働いていきたいかは次回に持ち越します。笑
ここまで読んでくださった方はいるのでしょうか…。もしいらっしゃいましたら、とっても嬉しいです。ありがとうございます!
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