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50歳にして自分が「HSS型HSP」だと分かった

物心ついた時から、混乱と複雑を抱えて生きてきた。

実の親からも「お前は何を考えているか全然分からない」と言われてきた。正直な所、自分でも自分が分からないという状況が多々あった。

相反する感情が心の中でせめぎ合って、苦しい思いをしてきた。

頭の中では、他人や自分自身のネガティブな思考がエンドレスでグルグルと回り続け、周りの人が普通にできる事が全然できなくて、落ち込む事も多かった。

気まぐれで、浮き沈みが激しくて、社交性があるかと思えば、数日誰とも口を聞かなくなったりして、周りの人に迷惑をかけてしまう。そしてその罪悪感がいつまでもいつまでも自分の中に残り続けてしまう。

人より劣っている事の方が多かったが、それでも自分の得意な事、興味がある事には、周りの目を気にする事なく邁進できたので、変な自信だけは持っていた。

大人になる頃には、なんとなく私は奇人変人の類いで、先天的か後天的かわからないが、何かしらの障害をもっているのだろうと、半ば開き直って生きていた。

そんな私も結婚し、二人の息子にも恵まれた。

下の次男が周りの子と少し違うと感じたのは、保育園に入った頃だっただろうか。

大きな音や、迫力のある映像を極端に怖がる傾向が見受けられ、感覚が鋭いというか敏感な子なのだと思った。また緊張しやすく、プレッシャーで泣き出してしまう事も多かった。

叱られる事にも弱く、なるべく優しく話をしていても、自分が悪い事をしたと理解すると、身体を強張らせ、目に涙を溜めて、いつまでも落ち込んでいる事が多かった。

そんな次男が、最近学校に行きたくないと言い出した。

理由を問いただしてみたら、他の生徒が先生に怒られているのを見ていると、自分が怒られているようで苦しく、またそれ以来先生が怖くなってしまったからだと言うのだ。

自分はまったく怒られるような事はしていないし、怒られてもいないのに学校に行くのが怖くなったという。

この時、次男は「繊細さん」いわゆる「HSP」なのではないかと思った。私は、ネットや書籍などでいろいろ調べていった。

その中で「HSP」の中に「HSS型HSP」という特性がある事を知り、そこで今まで自分が抱えていた複雑性や混乱性の全てが「HSS型HSP」に驚くほど合致していた事を理解したのだった。

なんでもかんでもラベリングする事が良い事だとは思わないが、それでも「HSS型HSP」というラベルが生まれなければ、私が今まで誰にも理解されないだろうと抱えていた問題が、私一人だけのものではないという事と、それらを理解してくれる人が存在するという事実に、出会えなかったかもしれない。

「HSP」も「HSS型HSP」も病気でも障害でもなく、人が持つ特性の一種に過ぎない。

だから治療して改善できるものでもないし、自分が「HSS型HSP」だと自覚できたからといって、何かが変わるわけでもない。

それでも自分の中の混乱性や複雑性がひとつひとつ言語化されて、紐解かれていく事で、救われたような思いがしている。

そして、これは私一人の問題でもない。次男のこれからのためにも「HSP」と「HSS型HSP」の理解を深め、彼をバックアップしてあげないといけない。

次男は「HSP」としての特性を多く持っているように思う。しかし「HSS」についてはまだハッキリとは分からない。

レッテルを貼って決めつけるのではなく、同じ特性を持つ親として、本当に彼の気持ちを分かってあげられるようになりたいと強く思っている。

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