未熟な大人による優しさ搾取
普段聴き役に回ることが多い。聴く方が新しい情報が得られて楽しいからだ。ただそれは関係性と会話が健全に機能している場合。ただ同調と共感を求める相談型の会話では話が違う。大切な人ならいいが、そうでもない人で、特に男から「それ」が続くのは嫌気が刺す。情報を排泄する側は楽だが、受け止める・いなす側にもエネルギーが必要だと想像力が足りてない。可愛い赤ちゃんをあやすのは厭わないが、大の大人の甘えは、自分で歯食いしばれとしか思わない。
リモートで対人接触機会が減ってから、自分の寂しさを埋めるだけのために、LINEグループで発言を垂れ流したり、愚痴ったり、話しかけてくる人が増えた。誰かの寛容さを搾取するな。甘ったれるな。辛くてもすぐに嘆くな。嘆きを飲み込め。自分で問題解決に努めろ。そう、思ってしまう。
「甘え」は依存性があって、頼りすぎると自分を弱くすることをわかっていない。人は当然、自分が求める反応をする人を好む傾向にある。例えそれが偏っていたとしても。可愛くもないアイドルが可愛いと言ってくれるファンしか見ずに、それ以外は「わかってない人たち」として切り捨てるように、美味しくない料理を作るシェフが、美味しいと言ってくれるお客の声だけを聞いて自己正当化するように、主観的現実は常に「蜜」に囚われる危険性がある。この客観性の欠如、歪み、甘えが、本当の味方を減らしていく。自分の足で立てなくしていく。
そして悔しいのは、こうして文章で吐き出すこと自体、自分が受けた搾取を愚痴るためにすぎない。つまり構造的には「甘えてきた誰か」と自分も同じ側に立っているというジレンマも抱えている。
それでも、この件は吐き出さずにはいられない。未熟な構ってちゃんが世の中に多すぎる。
#ショートショート #エッセイ #日記 #雑記 #ジレンマ #人間関係 #コミュニケーション #ビジネス #コラム #甘え #傾聴
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?