足りないのは対話(女性活躍).
以前、女性のキャリアについて、仕事を石拾いに例えた記事を書いた。
女性の昇進を優先的に考慮した上司と、周囲の受け止め方について書き、最後に、下駄を履いているのが誰なのかという問いかけをして記事を終わった。
今日はこの問いに対しての私なりの答えを書いていきたいと思う。
誰が下駄を履いているのか問題
私自身は以前勤めていたJTC(Japanese traditional company)で、産後に耐え難く悔しい思いをしたことがある。思い出すとストレスで心拍数があがる。
産後復帰したときに、復帰したばかりだからという理由で昇格試験を受けられなかった。
もちろん受けても受かっていたかどうかはわからないが、そもそも受験資格がないと言われたのだった。
石拾いの話に戻ろう。
考えてほしい。
子供を抱えながら石拾いをせざるをえなかった女性は、確かに物理的に大きな石や、価値の高い石を探して拾う余裕はなかったかもしれない。
だが登場人物全員がもっと対話をしていれば、互いに不信感を持たずに澄んだのではないか?
よく考えれば当然なのだが、誰も下駄なんて履いていない。そこに存在するのは「どうすることが正しいのかわからず不平不満を溜め込み右往左往する人々」だ。
なぜ、上司は女性に、責任のない仕事しかさせなかったのか。
なぜ、周囲は負担を負ったのに昇進できず不満を持つことになってしまったのか。
なぜ、女性は声をあげられなかったのか。
日本の女性活躍が進まないのは、対話が無いから
これさえ違っていたら状況は良くなっていたはずだと思えることは、ほとんどが「決めつけによる対話不足」が原因だ。
上司は女性に、責任を伴う仕事をしたいかどうか、聞かなかった。女性は大変だからと決めつけて、やらなくても良い仕事しか与えなかった。女性はやりがいを感じられなかった。
周囲は、なぜ自分たちばかりが負担を負うのか疑問に思ったが、「ずるい」と決めつけて、何が起きているのか理解しようとしなかった。女性に子供を少しの間もっていてあげようと、話しかける人がいなかった。自分たちも仕事から離れる時間がほしいと言う人はいなかった。
女性は、自分の求めていることを伝えられなかった。本当は責任のある仕事をしてみたい。みんなの役に立ちたい。本当は一回誰かにこどもを預けたい。夫に家のことをやってほしい。今日は残業できないが明日は少し時間のかかる仕事ができるという日もあった。だがそれを伝えても理解してもらえないと決めつけていた。
全ての場面で対話が起きていない。思考も止まってしまっている。
情報処理をサボるための単純化
人間の脳は体が摂取したカロリーの20%を消費する臓器のため、少しでも省エネにするために、とにかく楽をしたがる。
最も省エネな方法で判断を下そうとする。
結果、過去の経験をもとに、もっとも負荷のかからない答えに無意識のうちにアクセスしようとする。
その結果、以下のような前提に基づいた短絡的な思考になる。
・子育ては女性がするものである
・子育ては(何をしているのかはわからないが)時間が必要らしい
・子育てしている女性は残業ができない
・残業しないと仕事は回らない
=子育てしている女性に仕事はできない
頭がこのように楽をしている限り、新しい社会は実現しない。
サボる脳に抗う
あまりに短絡的ではないか?
人間は一人ひとり、肉体も違えば家族構成、年齢、ライフステージも異なる。性格、経験、人間関係、趣味、健康、経済状況、住処、実家との距離、公共サービスへのアクセスなども含めあらゆる複雑な要因がその人を形作っている。
同じ人でも、その時々によって対応可能な範囲が異なることも当然ある。
人口減少とダイバーシティの考え方に基づく女性活躍の必要性は長らく叫ばれているものの、高度経済成長期に頼っていた社会モデルが機能しなくなってから、新しい社会モデルを確立するのに異様に時間がかかっているのはなぜか?
それは、新しい社会モデルを構築するために個人個人が思考していないからだ。(制度の問題ももちろんあるがここでは個人の思考について焦点をあてる)
新しいことに取り組むときに必要なのはゼロベース思考だと思う。
これまでのあたりまえに疑問を持ち、改めて「それが本当に唯一の答えなのか?」考え直してみる。
考え直すには、今持っている当たり前を「あたりまえじゃないんだ!」と、気づく必要がある。
思考の枠組みから変えないと新しいやりかたなんて出てくる訳がない。
規制の枠組みの中で七転八倒するばかりで、枠の外には一歩も踏み出せない。
・子育ては女性がするものとは限らない
・子育ては必ずしも血縁関係のある人がするものとも限らない
・子育てに直接参加しない人も子育てに参加する
・子育てはコスパタイパの悪い事業だが成果が予測不能だからこそ予想もしなかった素晴らしいことが起きることがある
・子育てしているからといって全く残業できないわけではない
・仕事の成果を出すことと残業することは全く関係がない
・子育てしていない人でも休暇を取る権利がある
わからないなら、聞こう。
とはいえ、実際のところ子育ては時間がかかる。
直接子供のケアをする人は間接的である人に比べて配慮が必要なこともあるだろう。
「そんなこと言い始めたら誰に何を頼めば良いのかわからないじゃないか」
という上司もいるだろう。
そういう人には仕事において超基本的なことを教えてあげたい。
わからないなら、聞こう。
ツーカーや阿吽の呼吸、忖度といった言葉に象徴されるように日本人はあまりに対話を省略しすぎる。
内向的な性格を活かすのは、そこではない。
子供を育てていて、仕事で成果を出していて、人生を楽しんでいる女性に一度会って話を聞いてみれば、頭が固まってしまっている人も目から鱗が落ちるだろう。そういう人は、本当に存在する。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?