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人生の贅肉への謝罪と反省

部屋の中を片付けていると人生は代謝だなとしみじみ感じる。

買った当初は素晴らしく素敵に見えた服、雑貨、食器。
部屋に入れた物も最後には飽きるか、壊れるか、不要になって、売るかあげるか、捨てることにより部屋の中から出ていくことになる。

試しに買ってみた調味料、お菓子の材料、コスメ。
最後には飽きるか使い切るか使いきれずにゴミになるか売るかすることで部屋の中から出ていく。

食材、飲み物。今日口に入れたものも栄養を吸収して明日にはお腹の中から出ていく。そして家の中から出ていく。

生きている間ずっと、全てのものは「外から入ってきて、出ていく」という代謝が行われる。

最近捨て活をしているからか、自分が今から手に入れようとしている物の人生(?)に思いを馳せてしまう。

このマウスを構成している樹脂の多くは地面から掘り出された石油を原料に材料化を経てプラスチックになり成形されたのだろう。中に入っている賢い電子回路も、色々な地中からの材料を練ったり煮たり焼いたり組み合わせて出来上がったものだ。

たくさんのたくさんの工程を経て完成したそのマウスは、緩衝材に包まれて、箱に詰められて、ラベルを貼られて、倉庫の中で出番を待つ。

注文が入ったら、船に乗るのか飛行機に乗るのか車両に乗るのかわからないが、長い移動の旅路を経て注文した人の手元に届く。
小売店であれば、最終消費者が直接自分で選びに来るだろう。そしてオンラインの注文であればトラックに乗せられて、ピンポーン、と持ち主と初対面だ。

マウスにしてみたら、買ってくれたこの人のためにこれから頑張るぞ!という気持ちだろう。

「え、思ってたんと違う」とか、「間違えた!」とかで早々に手放されてしまうマウスもいるだろう。
大切に使ってくれたものの、3年目についに壊れて仕方なく廃棄…というやつもいるだろう。雑に扱って水をこぼしておじゃん、なんてこともある。10年以上、大切に使ってくれる場合もあるだろう。

いずれにしても、いつかはマウスとのお別れはやってくる。
買う時には想像もしていなかったお別れは、最悪の場合持ち主が死んだら突然やってくるわけだ。
私はこのマウスが辿ってきた誕生と旅を思うと、私のところにきてこのマウスは幸せだったんだろうかと不安になってしまう。
不幸な人生や廃棄をたどらせてしまう未来を迎えさせないために、責任を持って買い物をしなければと改めて思う。

小物のみならず、家も人間関係もそうだ。
マイホームを夢見て購入すると、買った次の月から「売りませんか」の郵便が入る。売却のみならず、最終的には相続などによって、元の持ち主の手を離れていく。

入社当時には沢山居た先輩が、年を経るごとに減っていく。新しい後輩が入ってくる。しばらく付き合いのあった友人とも引越したら関係が薄くなってしまったり。どんなに仲が良くても、最後は離別がある。出会い、結婚しても、最後は離婚か離別か死別することになる。

どのような別れになるかは最後までわからないが、永遠に続くものは本当にない。

みんな、最後は離れていく。
1円たりとも、何も、墓場まで持って行くことはできない。
相続してくれる誰かに預けようとしても、その人だって、「一時的に預かる」ことしかできないわけだ。誰かに預ければ未来永劫安心!なんてこともない。

そう考えると、一旦手に入れたものは、大切にしなければならないと思う。それと同時に、自分が大切にできる範囲も限られているので、あまり広げすぎるとよくないなと思う。

自分はすごく贅肉の多い家に住んでいるなと思う。
いつか手放すことは確実なのだが、生きていく上で、本当に必要で、ずっと大切に使うし、ないと困るし、なくなったらもう一度買う、というようなものは、家の中にそう多くはない。どうせお別れがやってくるのなら、その数はなるべく少ない方が心が傷まなくて済む。

贅肉の多い家に住んでいると、生きるのに本当に必要なものが何なのかが全く見えなくなってしまう。すでに持っているのに見当たらないからもう一つ買ってしまう、などがとくに発生しがちだ。何がどのくらいどこにあって、どの程度使っていて、どのくらい気に入っていて、どのくらい必要なのか、管理ができなくなってしまう。これでは迷子になってしまったものがかわいそうだ。

体を動かす筋肉はどれで、骨はどれで、神経はどれで、体液はどれで、何かあったときのためのほんの少しの贅肉があれば生きていけるはずなのに、私の家には大量の贅肉がたっぷりと蓄えられている。贅肉の子たちは、誰がどこにいるのかも忘れ去られたまま私との別れを迎えるのだろうか。かわいそうだ。

せめて、どの子が贅肉なのかわかる程度には贅肉やむくみを取ってあげなければいけない。そして、贅肉が多すぎるからという理由で対して大切にもされずに離別せざるを得ないようなかわいそうな人生を歩ませる子たちをとにかく減らさなくてはならない。心底そう思う。

私の家の贅肉はどうしてついてしまったのだろうか?
見栄を張りたいから。安かったから。ご褒美という名の衝動買い、一時のストレスを緩和するため。
色々な理由があるが、基本的には自分を一時的に満たすために無責任に買ってしまった子たちがほとんどだ。結局、自分が何によって本当に満たされるのかを私がわかっていなかったばかりに、ものが増えすぎて管理できず、家の中で行方不明になってしまったような子たちなのだ。

これから同じ間違いを犯さないためにも、贅肉は減らさなければならないと思っている。今日、まとめた、この可哀想な子達とはお別れすることになるが、私の自己理解を助けるために人生を使ってくれて、教えてくれてありがとうと言おう。

そう、私はあなたたちに対して最低なことをした。
2度と同じ間違いを犯さないために自己分析をもっとすることを誓います。自分とむきあって、心の中で何が起きているのか、なんで買ってしまったのか、よく考えます。脳科学や心理学も勉強することにします。

SDGs12;「責任ある消費」は商品自体の情報を得ることによっても貢献できるが、自分と向き合うことによっても貢献することができる。個人の力でできることは少なそうにも思えるが、すぐに取り掛かれることも、ある。

それぞれがよく考え、行動することで未来はよくなると信じたい。

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