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はるの空 と言う本
もっと早く読めば良かったと思うくらいすんなり入ってくる本です。
目次
はじめに
耳が聞こえない私
第1章 日本語に出会う
第2章 耳が聞こえる人がいる世界を知る
第3章 この世界で強く生きる
第4章 旅人として
第5章 JAXA(宇宙航空研究開発機構)
第6章 伝えたいこと
あとがき
これを見てどう感じましたでしょうか?シンプルでわかりやすく伝わる本だと思いました。私自身が聞こえない。そして父は聞こえない。母と兄は難聴。みんな聞こえ方が違うから話し方も変わってくる。
私の家族は言語が同一されていない。それぞれに必要な言語を選んでお互いに通じ合っている。父は全く聞こえないのでどちらかと言えば声を発するのは苦手で手話で話す方が楽。でも、幼年期は手話を知らずに口話で育っている。
母は難聴で腕時計の針の音が耳に当てれば聞こえるくらいの聴力だった。マンツーマン会話にはそんなに困らないけど、多数となるとついていけない。完璧に聞こえているわけではなく聞こえつらいからです。世代が世代なので母の親は世間の冷たさを心配し、聾学校に通わせた。ぬくぬくと手話で育った母は手話はもちろん使えるが、ずっと目を使うのは疲れる。やはり耳で聞く方が楽だという母は音声と平行に手話で話す。
兄は母よりはもっと聞こえは悪いが、補聴器を使えばそれなりに会話は困らない。聾学校へは行かず、聞こえる学校で育っているから手話は使えない。家族はみんな手話使うから読み取れる。自分からは口話でしゃべる。
当の本人の私は小さい時は難聴だったらしいが、のちにろう者になり手話が第1言語として声は出さずに手話でたくさんしゃべっていた。でも、家族がいろんなタイプの会話方法があったので、知らずにそれぞれに適応した会話でスィッチしながら会話してきた私。
つまり、父と会話は音声なしで手話だけ話す。母と会話は音声と手話で話す。兄と会話は音声で話す。つまり、家の中では3つの会話方法で成り立っていた。
その言語のスィッチがアメリカ留学にも役立てたようです。アメリカへ行ったばかりの時はやはり第1言語の日本手話が強いので日本手話で話してしまう。アメリカ手話は目で意味をなんとなく読み取れるけど、表現が難しかった。だんだんと頭が日本手話からアメリカ手話へとスィッチしていくと、日本手話は頭の奥にしまい込んで、アメリカ手話がメインに出てきた。
それぞれの言語は独立しています。同じようになっていない。それぞれの言語には文法と文化が入り混じっている。文法だけ身につけても、会話としては成り立たない。ただ、単に語彙を並べているだけ。文化を理解して、会話の中に文化を入れることで初めて会話として成立する。
言葉に感情を入れる、それが人間。ろう文化の感情、聴文化の感情は違う。難聴の感情もそう。感情とはそれぞれが経験した文化の一つ。私はそう思っている。
同じ映画を見てもみんな全く同じような感情にならない。似た感情になるのは同じような経験して共感を持っているかどうかになると思う。その経験をしていないと、全然心に響かない。そういう者だと思う。
【はるの空】はいくつか似た境遇がいくつか見られました。著者と年齢と私の年齢の差でやはり微妙な違いはあるが基本的なことは共通している。
はじめに、あとがきだけ読めば春日春樹という人間が見えてくる。
アカデミー作品賞を受賞した「コーダ あいのうた」 は2021年から2022年において世界中センセーションを巻き起こしました‼‼ 聞こえる人も聞こえない人もコーダの人もすべての人を巻き込んで感情を持ちました。
今の時代は多様性を求め、素直な感情が伝わるのだろう。
とてもおすすめな本です。ちなみに私も本を出しています(ぼそっ)
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