認知症の大変さを知る
私は40歳を過ぎてから介護ヘルパー2級の資格を取ってデイサービスで働いている。
人生100年時代…すごい世の中になったものだと不安にも似たようなものを抱えていた。
医学の進歩により、治らない不治の病だったものが早期発見で治ってしまうことも手伝って、人々も健康に意識を向けるようになったからだ。
私は少し、仕事に対するモチベーションが下がっていた。
お年寄りというのは、頭が正常な人でも同じ話を何回もすることは承知している。でも、認知症になると自分の経験や輝かしかった時の同じ話を何回もする。無限ループの始まりだ。それを一日中聞くこともある。
家族にとってはそれは、それは、耐え難いことだ。
新しく入って来た利用者様は小野枝さん。みかんの製造販売をしていた人だと聞いている。認知症がかなり進んでしまったため、デイサービスとショートステイを利用することになった。
小野枝さんは健脚なのでどこへでも歩いて、座っていられない。一応出入り口は鍵がかけられ外へは出られないようにはなっているが、転倒をしないかヒヤヒヤしながら見守って仕事をする。
「私は〜みかんの製造販売をしておるものでございます。この度は…」
始まりました、小野枝さんの演説。
かと思いきや、テレビのリモコンを耳に当てて電話をしているつもりのようだ。
「あれ?なんか聞こえないぞ。おかしいなぁ」
「小野枝さん、一回電話切ってまた、かけてみたらどうでしょう? 電話を貸してください」
私はそのテレビのリモコンを手に取り、ボタンを押すふりをして小野枝さんに手渡した。
「はい、かかりましたよ」
「もしもし〜小野枝です〜」
「はい、先日はお世話になりました〜」
私は小野枝さんの背後に回って電話の相手をした。いつまで続くか…長電話でないことを祈った。
「小野枝さーん、お風呂ー」他の職員からの助け船。
「小野枝さん、呼んでますよ。急用だそうです。行きましょう」
素直に聞いてくれる時もあれば、聞かない時もある。どれが正解なのか、いつも悩みどころだ。
そんなことをずっと、付いてお世話をする。仕事とはいえ他人とはいえ、精神的にくるものがある。家族はもっとだ…。
ある日、小野枝さんが頭が痛いと言ってベッドに横になり、私は近くで見守っていた。
すると、私を呼ぶ声がしたので行ってみると、
「早くお迎え来ないかな〜もう何もかも終わりにしたい」
小野枝さんのいつもの顔ではなかった。今、正気に戻っている顔だと気づいた。
「あんたにはすごく、お世話なったなぁ。こんなジジイをよく見てくれてありがとうなぁ」
…小野枝さんは、翌日亡くなった。
あの時、返す言葉が見つからず、ただ黙って小野枝さんの手を握り締めていただけだった。本当は、抱きしめて一緒に泣きたかった。
人にはそれぞれ、今まで生きてきた証がある。それを認知症で消し去られてしまうのはとても酷なことだ。
でも、この先の日本は超超高齢化社会になることは間違いない。
現実的にいつか、自分にも起こりうることなのだ。
介護を通して、人生のいろいろなことを考えさせられる。
あなたなら、どう生きる?