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八支則のヨーガ 1.3【アステーヤ】
アステーヤ 盗まないこと
他の人に所属するものを欲しがったり、奪ったりしない練習。
ステーヤ(盗むこと)のないこと(ア=否定の接頭語)がアステーヤ。
「自分は物を盗んだりしないから大丈夫」
と思っていても、「してもらったことに正当な対価を払わないこと」もステーヤだと言われます。
あるいは、自分のストレス発散のために相手にとって有益でない話を長々と聴かせたり、待ち合わせの時間に遅れたりすることも、「相手の時間を奪うこと」になってしまいます。
また、喜んでいる人に水を差すような言動も、「相手の楽しい気分を奪うこと」になりますし、人の好みや信じていることを否定するようなことがあれば、それはヒムサー(傷つけること)にも繋がります。
物質的な面だけでなく、精神的な面でも盗まない、奪わない練習がアステーヤの教えです。
考え、言葉、体、三つのレベルの行い
ヨーガの教えで強調されるのは、実際に行いをしなかったとしても、「そのような考えを持つことも慎みなさい」ということです。
これは、「一瞬も思ってはいけない」という意味ではなく、思考の癖による反射(自動思考)でそのような考えが浮かんだとしても、そのことを考え続けるべきではないということです。
ひとつのことを考え続けることは、思考に餌を与え続けるようなものだと言われます。
不適切な考えは不適切な言葉となり、不適切な行いとなります。
例えば、誰かの成功や名声を羨ましく思う嫉妬の感情が浮かぶことは誰にでもあります。
嫉妬は放置すると厄介な感情ですが、
「あの人は賞賛に値する能力を宇宙の采配によって与えれているのだ。自分にはその能力はないけれど、あの人は自分の代わりにその能力によって世界に貢献してくれているのだ」
という感謝と祝福によって、中和することができます。
考え、言葉、行いのそれぞれのレベルで、人のものを欲しがらず、奪わない練習をすることは、アパリッグラハ(貪欲さのないこと)やサントーシャ(足るを知ること)という価値にも繋がります。