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#16 客観性が持てない時は

3.4 7:19am
シャマとダマの実践例として、さとこさんとのやり取りの部分を加筆修正しました。

ナマステー、さみです。

本日もお立ち寄り頂きありがとうございます。

前回、考えの客観性=シャマについての話題の中で、相手の言葉や態度に反応して怒りの感情が出てきてしまった時などに、「私は今怒ってしまっているので、冷静に話ができません」と伝えることができれば、十分に客観的な、大人の振る舞いであるということを書きました。

書きましたが、それってすごく難しい事がやってみるとわかると思います。

特に怒りの場合、あなたの許可を取らずに湧き出てくる=衝動的という特徴があるので、客観すること自体がまず難しいです。

うまく客観できたとしても、プライド(エゴ)がそれを言葉にして伝えることを邪魔します。

「こんな些細な事で不機嫌になるなんて、器が小さい奴だと思われたくない」

言葉にするとそんなところでしょうか(笑)

実際は自分の感情を客観できて、しかもそれを素直に伝えることができるのは、器が小さいどころか、海のように広い心だと思うのですが。

「バカにされたくない」というお馴染みの癖の考えが出てきてしまうのですね。

シャマは、是非とも身につけたい資質でありながら、その人の性質となるまでにはそれなりの努力と時間が必要なものだと思います。

特に家族やパートナーなど、身近な相手には甘えも出てしまいがちで、なおさらですね。

「シャマが出来るようになるまでに友だちいなくなりそう…」

大丈夫です。

「シャマができない時にはダマをしなさい」

ヴェーダはそのように言います。

「シャマとダマ」

「グリとグラ」みたいで語感がいいですねww

ダマとは、

①感情の対象物を切り離すこと
②感覚器官の統制

という、似ているようで微妙に異なる二つの定義があります。

①の「感情の対象物を切り離すこと」は、問題となる感情を引き起こす対象から物理的に離れることです。

怒りの感情が湧きそうになったらその場を離れて深呼吸する、買い食いがやめられないならコンビニに寄らないようにする(笑)、などです。

考えの習慣や執着そのものがなくなるわけではないので根本的な解決にはなりませんが、欲求には満たされる度に強化されるという性質があるので、考えが十分な冷静さ・客観性を持てるようになるまではとても有効です。

何であれ、一番大切なことは自分の感情や欲求をコントロールできないことによる犠牲者を作らないことです。(甘いものを食べ過ぎれば自分の体が犠牲者です!)

そして、②の「感覚器官の統制」は、「より価値のあるものを持つことで、感覚器官の欲求を統制すること」と言えます。

夜更かしが好きな人がヨガ(アーサナ・ヨガ)を始めて、ヨガの楽しさ、気持ちよさに目覚めることで、朝ヨガをすることがその人にとって優先事項になり、そのために自然と夜更かししなくなるといったことはよくあります。

この場合、「朝ヨガをすること」が新しい大切な価値となり、「夜更かしを楽しみたい」という感覚器官の欲求が抑えられています。

お酒やタバコが大好きだったお父さんが、孫が生まれたことで長生きしたくなって、禁酒・禁煙するといった場合も、価値観のシフトによるダマが起こっています。

実はシャマができていれば、ダマもすでにできているとされるのですが、二種類のダマを使いながら少しずつシャマを身につけていくというのが実感に近いように思います。

私自身、知識としてこれらのことを知っていても、完璧に実践できているわけではありません。

少し恥ずかしいのですが、私は「疲れた時・眠い時に極端に反応が悪くなる」という性質があります。

自分で書いてて、「子どもか!」って思いますが(笑)

そんな時には周囲に無関心になり、油断すると意地悪な言動をしてしまいそうになります。(実際過去にそんなことを繰り返していました。)

苦い体験から、自分の癖、それを統制できないことによる痛み・代償を今は自覚しているので、意地悪な考えが湧き出てきても、ほとんどの場面でそれを言動に移さない程度には自制できるようになりました。

そんな時は、目を閉じて呼吸に集中したりしてやり過ごすことが多いのですが、「その行為そのものが不機嫌に見え(ることがあり)、そのことで不安になる」ということにさとこさんの指摘で気がつきました。

さらっと書きましたが、これがシャマですね。

「なんで不機嫌になるの!?」

という自分の主観だけで相手をジャッジすることなく、

「私には不機嫌なように見えてしまって、(私の考えの習慣においては)不安を感じる」

言い回しは違っても、十分に客観的な伝え方をしてもらえたと感じたので、私も受け取りやすかったです。

言われてみれば、隣に座っている人が急に目を閉じてウジャイー呼吸し出したらビックリしますよねww

自分が何か怒らせるようなことをしたか不安になると思います。

私としてはダマ(①感情の対象物を切り離すこと)をうまく出来ていたつもりが、相手(さとこさん)との関係においてはそれだけでは十分でなかったという例かと思います。

ふたりで話し合った結果、疲れている時は「疲れているから少し休ませて欲しい(そっとしておいてほしい)」と伝えるようにしようということになりました。

さとこさんのシャマな言動のおかげで、私もダマを深めることができそうです。

相手の状況・状態がわからないことで不安や妄想、すれ違いは起こります。

自分にとっては当たり前に思えることも、相手にはそうではないかもしれない。

そんな想像力と思いやりを持って、自分の状況を客観的に丁寧に伝えること、それもシャマ。

そうしようと思える根底には、お互いに「大切な人とよい関係でいたい」という価値が、感情や生理的欲求(眠い、疲れた)を上回るというダマ(②感覚器官の統制)が起きているのだと思います。

やはりシャマとダマはセット。

ヴェーダの教え、ヨーガの生き方は、一部の特別な人のためのものではなく、普通の人が普通に理解・実践できて、毎日を笑顔で過ごすためのものだと思います。

とはいえ、こんなめんどくさい話(笑)に価値を見る人というのは少数派で、共に学び、実践できる相手と出会えるのはプラサーダ(授かり物)以外の何物でもありません。

価値を守ることで、価値ある物が守られるのだと思います。

最後までお付き合い頂きありがとうございます。

namaste.

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