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八支則のヨーガ 2.2【サントーシャ】

サントーシャ 知足

最低必要なものを持つシンプルな満ち足りた生活を楽しめる練習。

『ヨーガって何?』パラヴィッデャーケンドラム

アパリッグラハの話題とも重なりますが、所有の願望の対象には、「必要なもの」と「必要だと思っているもの」があります。

「必要なもの」は身体を維持するため、家庭や社会でのダルマ(役割・義務)を果たすために実際に必要なものです。

「必要だと思っているもの」は、「それがあったら安心、満足、幸せ」など、その物の持つ客観的な価値以上の価値を上乗せしているものです。

例えば、職場に通うために車が必要であれば、車は必要なものです。
ですが、「人にすごいと思われるためには良い車が必要」なので車が必要だと思っているとすれば、その人が本当に得たいものは「人からの承認」であり、車は必要なものではなく、その人の主観的な見方において「必要だと思っているもの」です。

「移動のための手段」は車の客観的な価値ですが、「車があれば認められる」は客観的な価値ではなく、そう思っている人にとってだけ有効な、上乗せされた価値です。
そのような個人的な上乗せのことを、ジーヴァ・スルシュティ(個人の創造)と呼び、客観的な価値であるイーシュワラ・スルシュティ(イーシュワラの創造)と区別されます。

「私はすでに足りている。私はすでに幸せ」と自己暗示によって思い込むことではなく、本当に必要なものと、必要だと思っているものを正しく見極めていくことがサントーシャに繋がります。

満足と向上心

「現状に満足せず努力を続けたから人類は進歩しました。満足してしまったら向上しないのではないですか?」
という疑問に対しては、満足と向上心は別の問題だと言われます。

満足とは、外側や内側の物や状況を叶え続けて自分を満たすことではなく、私たちはすでに宇宙全体の大きな秩序の中で最適に配置されていることを知ることです。
全知の人、イーシュワラの目から見たら、何の間違いもなく必要な人、物、状況、体験が与えられています。
そのことが自然な見方となっている人にとっては、通勤の車のように現実的に「必要なもの」はあっても、「私は足りていない」という欠乏感はありません。

自分は満足であると知った後も、身体と考えがある限り、全体の中で与えられた役割を果たすための願望や向上心は相応しく与えられます。

テニスの試合は、5セットマッチで3セット取った方が勝ちですが、勝負がついた後も5セット最後まで競技は続けられます。
先に3セット取って勝利が決まった勝者は、プレッシャーから自由に最も純粋にテニスというスポーツを楽しめる人です。

そんなふうに、「私がすでに満足」であると知った人は、失敗したらどうしようという恐れや不安から自由に、伸び伸びと自分の役割に没頭できる人だと言われます。
その人は結果的に、不安やプレッシャーから行いをする人よりもパフォーマンスが高く、周囲や社会により貢献することができる人でもあります。

イーシュワラのアレンジメントを信頼して、安心して自分のすべきことをしなさいというのがサントーシャです。

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