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#15 ヨーガで培う客観性
ナマステー、さみです。
久しぶりの更新となってしまいました。
いつもこの場所にお立ち寄り頂きありがとうございます。
ヨーガの生き方を実践していくことで培われる資質として、「シャマ」というものがあります。
シャマとは、「整った考えにある平安」「習性と気づきの間の距離に気づけていること」などと説明されますが、ざっくりと「考えに十分な客観性が持てていること」と言っていいと思います。
私たちは誰しも自分自身の過去の体験の記憶に基づいたフィルターを通して世界を認識しています。
「変わっているね」と言われて、バカにされたように感じる人もいれば、褒め言葉と受け取る人もいるように、この世界のあらゆる事象は受け取り手によって意味が異なります。
受け取り手である私たち一人ひとりが、本来無色透明な世界を意味づけをしており、「一人一宇宙」というのはそのような意味と言えます。
そのフィルターは個人である私たちを喜ばせもし、苦しみの原因にもなるのですが、
「そうか、それじゃフィルターを全部取り除こう。チッタ・ヴルッティをニローダしよう」
と言ってできるものでもありません(笑)
「私の見方においてそのように見えるのだ」
「何か過去の体験に基づく私の中の未解決な感情気分がこの状況に反応しているのだ」
というのが人間が持つことのできる最大限の客観性、シャマであり、それで十分だと言います。
原因となる体験を自覚している場合もありますが、無自覚な場合が大半で、輪廻を前提とするヨーガ(ヴェーダ)の世界観においては、そもそも原因が過去生にある場合もあると考えられます。
ですので、自分の持っているフィルター(考えの癖)や過去(生)の問題を一つひとつ洗い出していく必要はないということです。
(身体の怪我や病気においても、自然治癒力を超えた部分に対症療法が必要であるように、自分の努力だけでどうにもならない考えの癖を解決する必要がある場合には、心理カウンセリングなどが有効だと思います。)
大切なのは、怒り・悲しみ・嫉妬など、自分を苦しめたり他者や世界との調和を乱すような反応が自分に起こった時、外側の状況に問題があるのではなく、「何か自分の中に原因があるらしい」と思えていることです。
誰かと話をしていて、相手の一言に怒りを覚えた時、
「すいません。私の中に何か過去の出来事が原因の未解決な部分があるみたいで、今のあなたの言葉に反応して怒りの感情として出てしまいました」
と言うことができれば、十分に客観性な、成熟した心を持てていると思います。(言うは易しですが 笑)
「ヨーガとは考えの止滅である」などと言われると、ヨーガは悟りを目指す特別な人のためのものに思えてしまいますが、
「あの人は大人だね」
と言われるような振る舞いができる程度に自分の考え、感情気分を扱える力がヨーガを通して身につくということです。
感情気分は必要があって人間に与えられている能力なので、なくなることは決してなく、なくそうとする必要もありません。
ただそれらが人や動物、自然を傷つける道具にならないように気をつけて取り扱いましょうというのがヨーガであり、仏陀の教えなどでも説かれていることだと思います。
「人や自然を傷つけない」
「自分と同じように他者を思いやる」
など、大切な価値というのはシンプルです。
シンプルなことを、シンプルに見れなくしてしまうのが私たちのフィルター。
私がこのように世界を認識して、行動する原因となる過去の体験があるように、私の父が、母が、友人が、恋人が、そのように振る舞う原因があるということを知り、その人がその人として振る舞う自由を私が受け入れられますように。
最後までお付き合い頂きありがとうございます。
namaste.