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モロッコの教室。”まちがい”のない場所
赴任して小学校を巡回するようになって様々な先生の授業を見させてもらった。
その中でも、後に自分の活動のサポートをしてくれるムバラク先生の授業中の教室の雰囲気は一番印象的だった。
ムバラク先生の算数の授業中、「この問題わかる人ー?」『アナアナ(わたしわたし)!』と自信満々に手を上げていた。
「では、モハメド」と先生が当てると、『○○です!』と答えが間違っていたとしても元気よく答えたり、『・・・・・・。』と黙ってしまう子もいたりする。
とにかく自分を当ててほしい(見てほしい?)一心でアピールをする。
今の日本の小学校はどうなんだろう?少なくとも自分のイメージでは、答えを間違えたくないからか、手を上げない子は上げない。自信がある場合だけ手を上げる。
今の高校生もそういう生徒が多い。むしろ以前よりそういう生徒は増えたような気がする。
教室内での”まちがい”って一体なんだろう、と思う。
先生が求める正解がわからずに、自信なく答えられず手も上げられない、のはいいことか。
なんとなく答えをわかっていても他の子が答えるから、自信が無いから、手を上げられないことはいいことなのか。
答えがわからなくても手を上げることは果たして悪いことなのか。
間違った答えを答えることは果たして悪いことなのか。
日本の子供達の”自己肯定感”の無さが時々話題になるけれど、この”手を上げる上げない問題”とも関わってるはず。
少なくとも、モロッコの、ムバラク先生の授業では、子供達は自由に、躊躇なく答えようとしていた。ある意味で、”空気を読まずに”。言い換えるとガヤガヤはしているけれども、ちっとも悪い雰囲気ではない。
間違った答えを答えることは、”まちがい”ではないはず。むしろそんな”間違い”のような、多様な考えが充満する方が教育的に素晴らしいと思う。
自分の理想…と言うと極端だけど、そんなまちがいだらけの、けれど、それをまちがいとしない教室にしたいなぁと思う。