沖縄の「想い出」
トップ画像は今月初めにテーブルウェアフェスティバルで一目惚れして連れ帰ってきたシーサー達です。
いつも素敵な記事を書いていらっしゃるNorikoさん。行ったことのない土地がお題でも軽快に書かれていらっしゃるのは流石だと思いました。
読み進めていくと…
ひがちゃん@沖縄さんの記事に辿り着きました。
まず、2つの「おもいで」について書かれていらして、改めてその違いを考えました。以下、ひがちゃんさんの記事からの引用です。
強い思い入れ
沖縄は私にとって間違いなく強い思い入れのある土地。だから「思い出」ではなく「想い出」の土地です。
初めて行った中学2年の修学旅行の事を少し書いてみます。
修学旅行、先輩方の代までは首都圏でありがちな定番の京都奈良旅行だったのですが私達の代から行き先が沖縄となり、先輩方に随分羨ましがられたものです。出発前日は嬉しくてたまらず、学校指定の革靴を一生懸命磨いていたのを覚えています。
返還されて十数年当時の沖縄はまだ異国感が強く漂っていました。ネットが無かった時代をご存じない方々には想像もつかないと思いますが、本当に情報も少なく。おそらく引率する先生方も数少ないガイドブックや歴史の本などを探してきて旅のしおりを作成して下さったのだと思います。
14歳の私にとっては沖縄の何もかもが新鮮でした。ひめゆりの塔では戦争について深く考えさせられ、植物園では見た事も無い南国の植物を目にして驚き、綺麗な海に感動しました。今思い出しましたが担任の先生が大蛇を首に巻いて得意げに記念写真を撮影し、それを卒業アルバムに載せていました。おそらく先生方が行きたかったから行き先を沖縄にしたのでしょうね。
一学年2クラス70名程の私たちは元々クラスに分け隔てなく仲が良く、迷子になったり現地の人と問題を起こす、という事もありませんでした。ホテルの部屋で興奮し過ぎて眠れず枕投げに興じて廊下で正座させられる、という事はありましたが。
帰京する前日の夕方、全ての行程を終えた私たちに先生が「良い子だったご褒美」と国際通りでの自由行動を許してくれました。言葉で言い表せない程嬉しかったのは私だけではなかったと思います。
門限19時半だったと思います。昼間にバスから通り過ぎただけの国際通りと夕暮れ時の国際通りはまた違う様相でした。お土産物屋さんでちんすこうやサーターアンダギーを友人達と試食し世の中にこんなに美味しいお菓子があるのか、と少ないお小遣いをはたいて家族に買い求めました。
そして、美しい赤とオレンジが混じった色彩の琉球ガラスの虜になり、いつまでも見ていたい、と思いましたがどのグラスを購入するか決められず、「絶対また来るからその時に」と自分に誓いました。が、結局今に至るまで入手出来ていません。大人になってから何度も沖縄へは行っていますが、昔の琉球ガラスは空き瓶を利用した再生ガラスだったので気泡が沢山入っていました。今現在のものはなんだか綺麗すぎて私には物足りないのです。この経験から旅先での出会いものは躊躇せずに買い求める主義になりました。
沖縄の方々は目鼻立ちがくっきりしていて現地の同年代の子供達に比べて私達は幼く見えたのでしょう。制服を着ていましたが時々小学生かと聞かれたように思います。当時あまり標準語が喋れない方も多く、何を言ってるかよく分からなかったのも異国感満載に感じた理由の一つだったと思います。
80年代半ばはまだまだ飛行機で旅行するのは特別な事で、しかも今の様に色んな情報もありませんでした。その時代、多感な時期に沖縄へ行けた事は私にはもちろん、同級生にとっても大切な宝物になったと思っています。
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