地震
昨晩は久々の大きな地震でびっくりしました。311からもう、10年。改めて地震の怖さを思い出しました。
当時は東京駅近くの事務所で働いていた私。大きな揺れに驚いて同僚たちと2階から急いで下へ降りて外へ出ました。
グラグラ揺れるビル群にも驚きましたが、停まっている車が揺れでピョコピョコ跳ねる現象は考えもしなかったもので自分の眼を疑いました。
家族と携帯は繋がらず、電車は止まっているので勿論タクシー乗り場には長蛇の列。近くのホテルに直接行くも部屋は満室。多くの人がそうであったように、私も会社に泊まる事になりました。
幸い会社が接待でよく使っている飲食店がお店を開けてくれたので、皆順次そこで夕食をとり、事務所へ。
テレビをつけてニュースを見ていると、恐ろしい画像がドンドン流れてきます。
港で処女航海を待機していたタンカー船が津波で流されている映像見て、大変そうだなぁと客観的に考えていましたが、まさかそれが自分が手配しているタンカー船だとは思いもしませんでした。
翌週になり、船社からの連絡で該当船だと知った時の驚き。関係各社への連絡メールを震えながら打ちました。
こういう時って人間性が出ますよね。
事態を理解して私を気遣ってくれる中国や台湾のreceiverの方々
と
期末だから船が出ないと困る!と言ってくる日本のメーカーのおじさま達
がとても印象的でした。
運良く後日代船が見つかり、予定通り出荷は出来て事なきを得ましたが、新造船は底部分がボロボロになり、修理に数ヶ月を要したようです。
船社から聞くところによると、津波で陸に乗り揚げた船は引き波で再び海に戻ったからまだよかったとの事。そのまま陸に打ち上げられたままだったらどうする事もできず、鉄屑になっていただろうとの事です。
それにしてもあんなに重たいタンカー船を簡単に動かしてしまうとは。自然の力には太刀打ち出来ない、と痛感した出来事でした。
船には誰も乗っておらず、また国連指定の超危険物である液体も積んでいなかったのは本当に幸いな事でした。
もしこの超危険物である液体が載っている状態で海に流失していたら原発と同程度、又はそれ以上のニュースになっていたものと思われます。もうあの一帯での漁業は絶望的になっていたでしょう。石油流出の比では無いのです。
船内のタンク内のクリーニングは細心の注意を払っているようですが、それでも何年に一度かは洗浄後に検査員が亡くなっているくらいなので。一滴でも残ってると大変なのです。
…話が船の事になってしましました。
今回の地震での津波はなかったようですが、福島界隈に住んでいらっしゃる方の不安な心は量り知る事が出来ません。
今回の地震は311の余震とも言われている様です。もう、2度とあのような事になりませんように。