文章を読むのに文法は必要なのか?
「どうやって古文を読んだらいいの」
高校生たちからよく聞かれます
活用、助動詞、文法、ぶんぽう、bunpo…
学校でも、塾でも、
嫌になるほど聞かされて
もう、うんざりなのかもしれません
正直、私が受験生の時だって
文法を前向きにやった覚えはありません
それに「国語が得意な人」って、
文法を意識しなくても「読める」みたいだし
そうすると、文法って何なんでしょうか
「読める」ために必要ではないのでしょうか
「読める」って、
文章全体の意味(物語の展開)がわかる
という意味で使われています
一方、「文法」って、
一文を正確に解釈するための知識・技術
(とくに日常語ではない言語に対する)
を指しています
つまり、「読める」と「文法」は、
全体と部分の関係にあるわけです
そして、ここが難しいところ
文章を読む、という作業は、
「部分➡全体」という一方通行ではないですね
「全体➡部分」という理解のされ方もあります
だから、
一文を構成する単語や文法がすべてわかっても、
一文が訳せるかどうかは分からないし
ましてや、
一段落、一文章の意味が分かるとも限らない
そうなると、
文法ってなぜ必要なのか分からないし
文法やっていても文が読めないなら、
結局文章の読み方も分からない…
ってことになるわけです。
重要なことを言語化して実践させる
これが予備校講師のお仕事である以上、
乗り越えねばならんでしょう
しかし、「文脈をつかむ」はご法度
それは「文章を読む」とほぼ同義です
「文脈をつかめ」と言われても
受験生は何をしたらいいか分からない
私の乗り越え方としては、
「主体の把握」で通しています
つかみ方は、単語、敬語、助詞など
文章や文に応じて、適切なつかみ方があります
そして、そこで文法は使います
一文を正確に訳すのは「傍線部」に限定
あとは「主体を把握」で乗り切る
おおまかに「文章を読める」ことで「得点」につなげる
これが私の戦略です
「全体➡部分」を言語化・指導・訓練するのが難しい以上、
「部分➡全体」の「➡」を強化するのが
妥当な策かと思われます
品詞分解! 全訳! と、
ガチガチに正攻法を押し付けても
高校生の「モチベ」はあがりません
じゃあ「主体把握」ではどうだろう?
さて、みんなの反応やいかに…