神楽 らぶか

かぐららぶか/元新聞記者、今は大学受験予備校で国語・小論文を教えてます/好きな作家は京極夏彦、好きな監督はコンテ・戸田和幸さん/大学・大学院では「創造的思考」、現在は読解力の磨き方を研究中/思考や読解について、いろいろ書いていきます/肩には助手のモージューが鎮座しています

神楽 らぶか

かぐららぶか/元新聞記者、今は大学受験予備校で国語・小論文を教えてます/好きな作家は京極夏彦、好きな監督はコンテ・戸田和幸さん/大学・大学院では「創造的思考」、現在は読解力の磨き方を研究中/思考や読解について、いろいろ書いていきます/肩には助手のモージューが鎮座しています

最近の記事

断片の短編②「えんえき」

 何が残っているのだろう――。彼女には疑問があった。あれほど飛び出すとは思っていなかったのだ。それも開いた途端に。勢いがすさまじかった。それ以来。あたりは、不幸だらけだ。疫病、戦争、災害、飢餓、差別、ストレス…。ありとあらゆる災厄を見た。急いで閉じたが、もう遅かった。  彼女は後悔していた。ただ、大きな疑問がそのままだった。「何が残っているのだろう」。今度は明確に声になっていた。周囲を見渡してみる。苦しむ人、泣き叫ぶ人、息絶えた人、茫然とした人…。不幸が充満していた。彼らの

    • 断片の短編①「あつれき」

       どうしよう。なんて言おう――。今日は彼と二人きり。最初のカフェはまずまずだった。スイーツも好評で、ずっと話題も尽きなかった。お会計は彼がスムーズに済ませてくれた。その後は、外を散歩。ぽかぽかした陽気で、花も動物たちも幸せそうに見えた。「あのさ、相談があるんだけど」。  「何だよ、改まって」。大きな瞳が私を見つめている。彼に不満はない。不満があるのは、自分のほうだ。私がどうしたら、彼は喜ぶだろう。私がどうなったら、彼は幸せだろう。もっと知りたいと思った。思ってしまった。「食

      • 「作品」の本質は「現在」にある

        ある大学の入学試験の小論文で、「作品」の本質とは何か、を考える問題があった。課題文では、文学作品、音楽作品が例に挙げられ、作品中で省略されている箇所を「受け手の解釈」によって補う、という点が注目され、そのような「解釈」を引き出す文章や楽譜といったテキストを基本とし、そこに受け手の解釈が加わることが「作品」を成り立たせている、という説明だった。私としては、この説明には「作り手の意図」と「受け手の解釈」という二つの軸が存在しているように感じられた。テキストは作り手が何らかの意図を

        • 「教える」を教えるは、厄介で魅力的

          仕事をして、遊んで、休んで、誰かと一緒にいて、つまり、生きていると、いろいろなことがあるものだ。その色々なことに正対することが人生の醍醐味だと思う。 今日もまた一つ、素敵な文章の出会えたのでここに記しておこう。前田英樹の「独学する心」『何のために「学ぶ」のか』だ。 「学問でもほんとうは同じである。考えられないことがあるということは、学問が可能になるための大切な条件である。我が身を離れた空想はいくらでもできる。が、それは空想でしかない。学問はしっかりとした対象を持たなくてはな

          読解力とは何か、読解力とはどのように磨くのか――。

          読解力とは何か、読解力とはどのように磨くのか――。 おそらく、私が生涯にわたって取り組み、考え続けるテーマだ。自分の頭の中に対する疑問でもあるし、大学受験生と日々向き合うという自分の職業における永遠の課題でもある。ある人は言う。「国語は受験産業の鬼門。読解力は、簡単には上がらないし、下がりもしない」。実際、そうなのかもしれない。あの手この手で、受験生たちの読解力を高めようとはしている。ただ、それが「できた」とか「報われた」と思えたことは一度もない。もちろん、成長して大学に合

          読解力とは何か、読解力とはどのように磨くのか――。

          相手の立場に立つ――小論と面接の懸念

          相手の立場に立つ――。 こんなに難しいことがあるだろうか。どうやったらできるのだろうか。答えなどないのかもしれない。ただ、暫定的でも何かをつかんでおきたい。そのために、少々言葉にしておく。 職業柄、小論文や面接の対策をすることが多い。どちらにしても、受験生の答えの中に散見されるのが、この「相手の立場に立つ」だ。 多くの小論文では、何らかの現代的な課題について、自分なりの解決策を要求してくる。その解決策は、「自分とは立場や考え方が異なる存在」、つまりは「他者」との「つながり」

          相手の立場に立つ――小論と面接の懸念

          「いき」な新聞記事の書き方

           日本人の美意識には「数寄」や「侘び」など様々なものがあるが、なかでも「いき」は格別に洒落ている。それはやはり、九鬼周造の定義「垢抜して(諦)、張のある(意気地)、色っぽさ(媚態)」における、「媚態」と「意気地」の両立の美しさだろう。好意を抱く相手に対して限りなく近づこうとすることが「媚態」であり、その相手から離れようと強がるのが「意気地」である。そして、このような二項対立状態を維持し続けるのが「諦め」の力だ。相手に近づききった相手側への一元化に対する「諦め」、相手から離れき

          「いき」な新聞記事の書き方

          自由へ道連れの道連れ

           他者の意志ではなく、自分の意志において決断、行動すること。「自由」の意味を問われたら、このような答えを思い浮かべるだろう。もちろん、正解だ。この「自由」という概念は、特に近代以降の私たち人類共通のスローガンだった。自由への渇望を原動力に、民主主義と呼ばれる社会体制が築かれた。近代以降の国家や社会の体制は、このスローガンを狡猾に利用して自らの繁栄を築いたという感は否めない。だが、一人一人の意志が尊重されること自体は悪いことではないだろう。ではこの「自由」とは一体、どのような概

          自由へ道連れの道連れ

          矛盾する「綺麗ですネ」

           漢文世界において支配的な思想である儒教では、「堯」と「舜」という伝説的な聖王の統治を最高の政治のあり方だと考える。漢文を読んでいてこの2人が登場したらほぼ自動的に「よい存在」だと考えてよい。この2人について調べてみると、「堯」が先代の王であり、悪きを改めて良い立派な行いをすることで人々を助ける「舜」の姿を見て、「堯」は「舜」に王の座を譲った、とされるそうだ。この話、少々辻褄が合わない点があるのはお分かりだろうか。この点をあげつらった人物が残した有名な逸話を紹介しよう。元々は

          矛盾する「綺麗ですネ」

          常識の常識的な変遷

           今日は「常識」について考えてみたい。日常的によく耳にするはずだ。どのようなニュアンスで使われているだろうか。辞書的には、明治期に定着した英語「common sense」の訳語で、一般的に「社会人として当然持っている、持っているべきだとされる知識・判断力」を意味する。一方、哲学では「人類全体に共通する能力で、真理・道徳をとらえる直覚」を指すそうだ。「持っているべき」だとか、「真理・道徳」をとらえるだとか、基本的に「よいこと」として説明されている。当然のことながら、ないよりもあ

          常識の常識的な変遷

          私の彼は左利き

           動物が外界を感知するための主要な感覚機能をまとめた表現として「五感」というものがある。見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触れる、の五つだ。高名なドイツの哲学者エマヌエル・カントは、すべての感覚は、空間の中に存在するある事物の刺激を受けることで、時間の中で私たちに生じるものだと考えた。つまり、私たちの感覚はすべて、時間と空間の形式において現れる。「見る」という動作が最も分かりやすいだろう。「私」と同じ空間の、「私」が見える場所を占めて存在しており、その対象物に当たって反射した光が私の

          私の彼は左利き

          愛だの、恋だの

           日本語は曖昧だ。「ヤバい」「かわいい」「エグい」など、世間に流布する言葉たちを聞いていて、その曖昧さに驚かされる。彼らは、このような限られた語彙を使ってどうやってコミュニケーションを取っているのだろうかと疑問に思うこともある。聞いてみると、「雰囲気」という答えが返ってくる。うん、曖昧だ。ただ、身振りや表情、声のトーン、SNS上であれば絵文字やスタンプなど、非言語的な要素も同時に用いることで、メッセージを伝えやすく工夫はされている。その点をもって「雰囲気」という表現になるのだ

          愛だの、恋だの

          多様性を尊重する

           私は、大学と大学院で心理学を専攻していた。研究テーマは「創造性」だった。ここで創造性とは、「新しくて価値のあるものを生み出す性質」と考えてほしい。研究は、どうすれば人間は、このような創造的なアイディアを生み出すことができるのか、という問題意識からだった。そもそもの発端は、心理学においては「否定的な側面」「特殊な人」についての研究が多いことに対する反発だ。様々な文献を読み漁るうち、誰かの思想に感化されていたのだろうが、どうして心理学は、犯罪者や精神疾患を抱えた人、天才など、一

          多様性を尊重する

          なぜ、どうしてなのか

           今はもう昔のことになってしまったが、「アンタッチャブル」というお笑いコンビのコントに「息子が万引き」というタイトルのものがあった。ツッコミ担当が高校生に扮し、デパートで万引きをしたためにその事務所で話を聴かれている。そこにボケ担当が父親役で駆けつける。息子は「なんで来たんだよ」と反抗的な態度で父親に問う。父親は「電車で来たんだよ」と返す。息子は「手段じゃねぇよ」とツッコミを入れる。会場が沸く。定番ではあるが、安定の笑いがある。単なるお笑い好きとしては、「やっぱアンタッチャブ

          なぜ、どうしてなのか

          大学受験という「戦い」の始まりです

          いよいよ、4月 新年度の始まりです 1年後の大学生活開始に向けて、 受験生たちの戦いも始まりました 新高3生たちには、2か月弱ほど準備期間がありました そこでは、 国語の読み方の鉄則を身に付けました 現代文は、 【文章の話題】と【設問の解答要素】をつかむこと 古文では、 【主語】と【心情】をつかむこと これらの「鉄則」は、 文章を読む、ことを具体的に言い換えたものです そのため、国語の文章を読む以上は、 今後も意識し続け、練度を上げ続けていきます ほかにも「文法」などたく

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          2023共通テスト・国語の振り返り

          大学入試共通テストが終わりました。 大学受験業界に身を置く者としては、 まずは「前半戦」終了、といったところです。 担当教科は国語。 全国平均は中間発表で105点。 最終的にはもう少し高くなるのではないかと考えていますが、 なかなかに難しい問題でした。 基本的には、 「文章全体を読む」ことが主眼に置かれていました。 つまり、 細かいテクニックや単語、文法の知識で 「部分的に読む」ことで得点を稼ぐのではなく、 文章全体の要点をつかむことで、 得点の大半を一気に取る、 というス

          2023共通テスト・国語の振り返り