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バビロニアの円筒印章の話

例えば国を超えてフルーツの食べ方が似通っていたり、情愛を表す仕草が同じだったり、白黒を表すのに塩を共通して使っていたりのように、時間や距離を隔てて共通なものを見つけると嬉しくなってしまう。

バビロニアで使われていた円筒印章を見て、太陽が同じ形であることに感動してしまった。

円筒印章は画像左上のが本体で、ハンコとして粘土とかの上に押し付けくるくるして使っていたらしい。

BC1894-1594ということは今からざっと3500年前

今私たちが使っている☀️の絵文字とまんま一緒で、まあ冷静に考えたらこっちがパクったというかそれが連綿と続いてきただけなんだろうけど、ウワーーーーーー一緒だーーーーーーーー(一緒、と長音記号が混ざると視認性が下がる)とかなり感動というか胸のあたりがぐっとなった。感情を物理的に感じることはたまにあるけどよく考えるとすごいことな気がする。

太陽マーク完璧に一緒なのなんで???すごい

冷静に考えれば人や動物も今と同じように描かれているのには驚かず太陽にだけ驚くというのは変な話だし、そう見えるからということに尽きるんだろうけど自分はオッとなってかなり好きだった。いやすごい。昔の人が考えたのと全く同じように自分たちも振舞っている。結局使うものが違うだけで進化なんてしてない気がしてくる。太陽は暖かいし動物は周りを飛び跳ねていて全て世はこともなしである。

星もあった。

星もすごい。ちくちくさせているけど大体同じだ。

これを3000年前の人が刻み込んで触って使っていたのか…何千年も前の古代に人がいて、歌ったり火を囲んだり収穫したり悩んだり愛したり死んだり産んだりして、でもいまその人たちは全員いないんだなあと思うとなんだか泣けてきてしまう。自分は思っていたより、時間の幅にけっこう意味を見出しているらしい。

このハンコはいまこうやってテグスで吊られていて、こいつが再び日の光を浴びるのはあったとして当分先になりそうだけどもう一回人に触られたいとかお仕事したいとか思っているだろうか?自分だったら思うけど、そうだとするとそれはそれで悲しくなってくる。文化人類学的な展示は「元々観賞用に作られていないもの」が展示されていることに気持ちが向くとたまに悲しくなってしまうのでよくない。それがあるからこそ保存できているしこうやって感動したり誰かの役に立っていることもあるのにね。

古代エジプトの太陽神ラーは今見たら丸かった。

ほーん…じゃあ中国はどうなんだ?植物由来だと経年劣化がひどいから竹簡とかはないだろうけどやっぱり石とか金属は強いよな…ちょうど手近にあった『殷周の青銅器』を開くか

via: 根津美術館

動物渦巻きパラダイス

わからない!文化が違う!

…となったがここでまさかの西の渦巻き模様番長

ケルト文様 参戦

日本でおなじみ唐草模様も参戦!無理すんなよ

via: かまわぬ

あっあっイスラムはほんとすみません不勉強で

そろそろ自分の中の考察オタクが早口になって早口になって前のめりに神がァ〜!とか金文の雲はァ〜!魔除けがァ〜!邪視がァ〜〜!!と言い出しはじめそうなので尻尾巻いてどろんぷい

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円筒印章はモルガン・ライブラリー(アメリカ、NY)より

ここにも渦巻きが

ぶたちゃん

3/30

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さ
岩岩パニック ごろごろ