
歴史と幸福について勉強してみた!
みんな、こんにちはなんだよね!
深海に住んでるサメの「さめざめ」だよ。
ぼくは人間さんが言う「幸福」っていう言葉がすごく不思議で、どうしてこんなにいろんな意味があるのかなって思ったんだ。じつは、人間さんたちが「幸せ」とか「幸福」って呼ぶものは、時代や場所によって、びっくりするくらい変わってきたらしいんだよ。これまでも、人間社会では何が幸せか、その基準がくるくる変わってきたんだって。
昔の古代ギリシャではね、幸せって「ただ気持ちいいことをする」だけじゃなかったんだよ。アリストテレスっていう有名な哲学者は、「人間には理性っていう特別な力があって、それをうまく生かして卓越した生き方を続けることが本当の幸福なんだ」って言ってたんだって。ほかの考え方では、心が静かでおだやかで、苦痛や怖さから解放されている状態が幸せだと思う人もいたんだ。その頃の人間さんは、欲しいものをひたすら手に入れるより、「自分の心を落ち着かせて、内面を整える」ことに重きを置いていたみたいなんだよ。
ところが、中世ヨーロッパに入るとキリスト教の影響で、「本当の幸せは来世にある」って考え方が強くなったらしいんだ。現世は苦しくて当然、天国で神様と一緒に過ごすときこそ真の幸福があるって思われてたんだよ。だから、この世での豊かさより、神様に喜ばれるような行いを積んで、来世での救いを得ることが重視されたんだって。幸福は「今この瞬間」じゃなくて、「来世」という別の世界で手に入るものとして理解されていたわけだよ。
それが近代になると、大きく状況が変わったんだ。宗教の支配力が弱まって、人間さんは自分の理性や知恵で世の中を良くできるって考えるようになった。科学や技術が進歩すれば社会は発展して、人々はもっと幸せになれるはずだ、と期待されたんだって。功利主義という考え方が出てきて、「できるだけ多くの人が喜びを感じ、苦しみが少ない状態が幸せだ」という考え方が広まったんだ。経済発展や制度改善でみんなが物質的に満たされれば幸せになれるんじゃないか、と信じられてたんだよ。ここでは、幸福は「豊かな暮らし」や「自由な選択」、「自分で決められる」ことにシフトしていったんだ。
でも20世紀以降、特に戦後成長期、物質的には豊かになっても、必ずしも幸せを感じられない人が増えちゃったんだって。たくさん物を手に入れても、それに慣れちゃうとまた新しい欲望が生まれる。そうすると「もっと、もっと」って無限に追い求め続けて、終わりが見えなくなっちゃうんだよね。そんなふうに、物質的豊かさだけでは幸福が保証されないって気づいたんだ。そこで人間さんは、心理学の力を借りたりして、「幸福ってただ快楽を増やすことじゃなくて、有意味なことに打ち込むとか、人とのあたたかなつながりを感じるとか、自分らしさを発揮することが大事なんじゃないか?」って再考しはじめたんだよ。
さらに、現代では地球環境や社会の不公平なんかも無視できなくなってきた。自分ひとりが幸せでも、未来の世代や他の生き物、自然環境がボロボロだったら、それは本当の幸せって言えるのかな? って疑問が出てきたんだよ。だからこそ、「持続可能な幸福」や「みんなが関わる倫理的な幸せ」が注目されているんだ。こうやって、幸福は個人の中だけじゃなく、もっと広い関係性や将来を見据えて考えられるようになったんだよね。
実は、西洋とは違う文化でも、全然違う幸せの捉え方があったんだ。たとえば東洋、特に仏教の影響が強い地域では、欲や執着から自由になることが心の平安、つまり幸福だと考えられてきた。儒教的な価値観が強い社会では、家族や社会の秩序を大事にして、徳を積むことが幸福に結びつくと言われてたんだよ。最近はブータンみたいな国が「国民総幸福量」を掲げて、経済指標だけじゃなく、人々がどれだけ心豊かに暮らせているかを重要視する動きもあるんだ。つまり、幸福は西洋的な「個人の自由と豊かさ」以外にも、いろんな基準が成り立つってことなんだね。
こうやって歴史を振り返ると、幸福の定義は全然固定的じゃない。時代や地域、社会制度や宗教、哲学によって「幸せってこういうことだよね?」がコロコロ変わってきたんだ。昔は徳を磨くことだったり、来世での救いだったり、社会の進歩や富の増加だったり、自分らしさや他者との関わりだったり、持続可能な視点だったり、いろんな方向へと形を変えてきた。
このことは、ぼくらにも大事な示唆を与えてくれるんだ。「幸せってなんだろう?」って悩むとき、人間さんはよく周りやメディア、ネットの価値観に振り回されちゃうかもしれないけど、その定義は1つじゃないんだよね。歴史からわかるように、幸福は常に変化しているし、どの時代にも「これが唯一の正解」なんてなかったんだ。だからこそ、今自分が生きている社会や文化を考えつつ、そこに埋もれている前提条件を見直してみるのが大事なんだ。
「本当にこれが大事なのかな?」とか、「なぜこんなふうに考えているんだろう?」って、自分や社会に問いかけてみると、今まで気づかなかった幸せの形が見えてくるかもしれない。歴史を知ると、幸福が時代ごとにコロコロ変わったことがわかって、今の自分の考え方も絶対じゃないって気づかされるんだよね。そしたら、もっと自由に自分なりの幸せを定義したり、別の生き方を想像したりできるようになるよ。
要するに、幸福は人間さんが生きる環境や価値観によって常に変化してきた相対的なもの。固定されたゴールじゃなくて、いろんな時代、いろんな地域で試行錯誤されながら生まれてきたアイデアなんだよ。現代のぼくらも、歴史的な多様性を知ることで、「これが幸せだ」って押し付けられた一枚岩の価値観にとらわれず、未来を考えるときに、もっと柔軟に「自分にとって、あるいはみんなにとっての幸せ」を探せるんじゃないかな。
深海から人間社会を眺めていると、こうした時間軸の長い視点で考えるってすごく面白いんだよね。結局、何が幸せかは、時代や場所によって変わってきたし、これからも変わっていく。だからこそ、人間さんは歴史に学びながら、新しい幸せの形を創り出していくことができるんだなって思うんだよ~。