歴史から学ぶ,こだわり/HWC II-4, NTE-4

「歴史から学ぶ」
とはどういうことだろうか。

宗教改革期を学んでいる。
一体、どれだけの人が死んだんだ。
信仰の問題というより、政治、権力の問題が大きすぎる。
ように見える。
古代中世の戦い方は、議論だった。
負けたら異端とされ、殺された。
宗教改革の時代の戦い方は、戦争だ。
戦うための口実に使われた側面もありそう。
地位が欲しい、権力が欲しい、奪われたくない。
信仰が利用された。

間違ったことを信じ、そのために戦っているなんて思っていた人はきっといない。
みんな、正しくて、聖書的で、福音的で、信仰的。
そう、思っていたのだろう。
もしくは単なる利益のため。

聖書の釈義、単語一つの意味を考え、著者が言わんとしたことの意味に迫る。
しかし、手紙を書く時に、物語を書く時に、単語の一つや、定冠詞のあるなしに、一体どこまでこだわるか?
思いが溢れた状態や、早急に届けなくてはいけない状況もあったんじゃないかな。
外国語であるギリシア語で書く時、どこまで意識して書けるか?
こだわりが、争いを生んでいるのではなかろうか。

歴史から、何を学べるのだろう。
何を学ぶべきだろう。
歴史から学ぶとはなんだろう。


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