リア充・ネット充・そしてつながり孤独
今年、2019年。僕がインターネットというものに初めて触れたのは、1994年。パソコン通信は前々からやっていたものの、その中でインターネットがかなり話題に登っていました。
まだ、Windows95も無い時代。パソコン通信からダウンロードしたフリーソフトだけでなんとか接続すること約2ヶ月。
初めて、アメリカのホワイトハウスのページが自分のパソコンに30分かけて表示された、いや、されただけなのですが、今まであり得ないことだけに焼き付くように覚えています。
音楽ファイルは1日かかってダウンロードしてた覚えがあります。
まだ、スマホも無い時代からインターネットに触れ、それを仕事としてきたのですが、時代とともに大きく変わったところがあります。
15年程前でしょうか。「Web2.0」という言葉が各一般新聞、コンピュータ雑誌に溢れたことがありました。
Web2.0とは、少々流行語であったので単語自体消えましたが、概念が今でも生き続けています。それは、誰もがウェブを通して、自由に情報を発信できるように変化したウェブの利用状態のこと、いわゆる、今現在のネットの世界そのものを15年前に定義させていました。それまでは、ウェブを通して情報のやりとりができなかったのです。
Web2.0は、誤解を恐れず劇的に単純に書くと、ネットに書き込む、書いたものを読む、議論をする、Wikipediaのように集合知を利用できる、書き込める。パソコンだけでなくスマホなど様々なデバイスで利用できる。地図上で位置変更するようなGoogleMapのようなことができる。
そして一般的に普及してきたインターネット利用の最大のターニングポイントは今でも影響し続けているWeb2.0。
(Web3.0への移行の話はまだ人類がほとんど経験できていない概念なので今回は置いておきます。)
その結果
人々の行動に変化をもたらすと。
情報発信者の大きな変化が発生するだろうと。
一番大きな変化は、今までのWEBは一方通行でした。例えばサイトを作った人、企業のサイトから一方通行。
Web2.0と言われだしたときに日本では最初に大きく動いていたのは「mixi」です。ご存知の方も多いかと思いますが、一方通行ではありません。
他、インパクトがあったのはブログです。各社が一斉にブログサービスを始めました。僕は家入さん(現キャンプファイヤー社長)のペパボブログでしたが、更新ボタン押して2分ぐらいかかってました。
利用者の観点からだと良くも悪くもスマートフォンの出現により、人の生き方、考え方、人とのコミュニケーションがガラリと変わってきたと思っています。
そんな信じられない進化を遂げて今に至ります。
そこに大きな落とし穴も出来てしまった、という事実もあります。
突然ですが皆さん、実生活、実社会において真の友人、親友はおられますか?
その友達とワクワク楽しく過ごせていますか?過ごす時間はありますか?
普通は、当たり前に生きておれば、生きている場所にコミュニティがあり、生まれてから過ごしたコミュニティもあり、その中で友人、知人ぐらいはいるものです。
Web2.0の発展形にある、Twitter、Instagram等々SNSという手軽に、利便的に、人と人がネット上で知り合う機会は増えている時代だと思います。
しかし、すべての人ではないのですが、そのネット上での人との出会いが沢山あっても「孤独」に悩んでしまう人が沢山いる、という現実があります。
場合により、「自殺してしまう人」も絶対に表には出てこない話ですが、山のようにいます。
それら、多くの人とつながっているのに孤独を感じるということを「つながり孤独」と言われています。
ならば、なにかイベントに参加するなり、紹介でもしてもらってリアルな友人・友達を作ればいいのではないか?そもそも会社に出勤して誰かと顔合わせているはずだろ?という声も聞かれます。そもそも家に引きこもってパソコンを触って現実世界に入ってこない人、誰とも話さない人が悪いという声も実際あります。
その声は決して間違ってはいないと思います。しかし、間違っていないと書いているのに問題提議しているか、それは、問題提議しないと問題にもならないというのが社会そのものだからです。
特に大人になると、実際の社会を知っているゆえに余計に、現実の世界のほうで気を遣ってしまう傾向があります。
現実にSNSでコミュニケーションを取るのに慣れすぎてしまって、SNSでのコミュニケーション以上の喜び楽しみがある世界、それが現実であるのに、やはりSNSに頼ってしまうというループに陥る。
そういう傾向に流れてしまうそうです。
よく、それならば人と人のコミュニケーションを取るために、現実世界のコニュニティに所属したらいいじゃないか、という話になります。
しかし、SNSで失敗してしまった人に、コミュニケーション負荷の高い現実に再度戻れというアドバイスはきつすぎる気がしてなりません。
僕自身もその傾向はかなりあり、現実の世界でみんなでワイワイ騒いで遊ぶほうがよほど楽しいのに信じられないと思われるかもしれません。
僕が今、学生時代であれば、おそらく、スマホより居酒屋でワイワイと合コンでもしてドライブして遊んで(当時スマホはなかったでしたけど実際そんな生活してました)青春を謳歌してたのは覚えてますが、それは学生時代で社会人になってから、社員旅行も気を使う旅行過ぎて当日にサボる程コミュニケーションを切りまくった覚えがあります。
僕と同じ会社に勤務していた人で、僕と居酒屋行ったり、カラオケ行った人、おそらくほとんど僕がその席にいた記憶にない、あっても数回ぐらいかと思います。
SNSは無い時代でも、その顧客も自社も含め、気を使うぐらいなら仕事してたほうがマシというその流れに陥りました。
このような話は実際僕だけでなく、僕へのお世辞抜きで結構同じこと言ってる人いましたね。だから、社員旅行はおおよその会社は絶対に出席必須になっているところがそんなに多くないところに現れてしまうと思います。
これが今の現状の一つかと思います。
例えば、うまく伝えられなくても聞いてくれるような友人が欲しいな、と思ったけど、リアルな世界だと友人を作るのがもう無理だから、とか。確実にそのような思考に走ります。
その結果、孤独感を感じる問題はお年寄りの問題ではありません。
昨今でも大変な刑事事件が発生することも多い世の中です。社会問題として「孤独死」、「孤独感」=お年寄りに多い問題、と捉えられる場合が多いと思います。
実際に以前住んでいた大阪市内近所の市営アパート、マンションの孤独死は自治会レベルで対策を練るほどでした。お年寄りの部屋を自治会活動で定期的に巡回しました。なぜなら、本当に孤独死しているか、自殺しているかの2択です。久しぶりの巡回したら、大変なことになっていた、という現場を見ると、日本という国は豊かなのか違うのか、こんなに自治会で色々やっているのにと。
しかし、若年層の孤独感、孤独死の問題は問題になりません。その人自身のバックボーンに問題があるから、家族が非協力過ぎ、やる気のない人を助けるのは税金の無駄遣いとか、色々言われるのですが。
確かにそれもそうかもしれません
問題がたいした問題にされていない。本人の努力が足りないから、まあ、それはそうかもしれないのですが。理由をつけるのは非常に簡単。理由さえつければその理由が通って社会問題が個人問題にされてしまう。
我々は同じ地球の同じ国で住んでいる。たとえ犯罪者が人を殺して刑務所に入っても何年もかけて更生され、再度この国でもう一度生きることに再チャレンジできる、僕はそういう国に生まれたつもりです。
僕は頭にも書いた通り、システムエンジニアという仕事でこの業界に1994年からインターネットを使い続け、この25年間コンピュータ業界におり、ネットの環境は変わり続けど、特に便利に使えるスマホ等を通じてコミュニケーションを取り続けています。
自分も含め、一体どうなるのか、なにかアクションを起こしたほうがよいのかと思いつつ、仕事の合間に研究をしていると、社会から見えない闇の部分が見えてくる、それも全体でなく、大きな格差を持って。自分自身もその問題の鏡に映し出されてくる、
だからこそ、孤独問題は、ご老人の問題も含め、ここ最近ではむしろ若年層の問題だと思っています。なぜなら見えづらい、特に社会的影響力のある人からすると見えない、そんなことありえない、バカと言われる。アクティブや、ネットがない時代を長年過ごされた方からすると信じられないからだと思います。
信じられないかも知れないですが、これが現実なのです。慣れたバーチャルなコミュニケーションに疲れ、現実世界に戻れなくなり、結果、孤独感にさいなまれる人はたくさんいます。
スマホアプリだと、Instagramとか、LINEとかFacebookとかTwitterとかの比較的個人用途的に使うSNS、最近、一般の人で日常系個人ブログを作る人は減りましたが(ビジネスブログはまだまだ有益で沢山ありますが)、他にもスマホアプリで自分や子供や家族を綺麗、可愛く、美しく加工する系アプリとか、僕を美しくしてもしょうがないのであれですが。他、Tik Tokとか、マッチングアプリ系とか。
色々楽しいですね。やり取りとか、友達の写真とか。
以前、リア充に対して、ネト充という言葉が生まれたことがあります。
どれだけ現実世界がつまらなくてもネットをさわっておれば楽しくてしょうがないという方々を皮肉を込めて作られた単語です。
確かにスマホを使って遊んでいたりしていたら、楽しい。だから世界中にこれだけスマホが普及したということと繋がります。
でもそれは、スマホライトユーザーレベルまでの話で、ヘビーユーザーになると比例して楽しくなくなるという研究結果が出ています。
なぜなら、「劣等感が加速するから」です。
その結果、ネットでは繋がっているのに、劣等感から孤独感を感じだすのです。
そんなにネットをやってるからだという批判は必ずあると思いますし、それは間違っていないと思います。世の中、バランスというものがありますから。
ネットにおける楽しいことは現実社会とまったく同じです。
それは「人との関わり」そのものの楽しみなのです。
しかし、現実世界でもネット世界でも主人公は人間です。ネットの世界でも人は承認欲求を満たそうとします。人間なら当たり前の心理欲求です。逆にそれが出なければ別の意味で怖いぐらいだと思います。
InstagramでもFacebookでもTwitterでもLINEでも同じですが、皆、楽しそうに、美味しそうに、女性なら可愛く楽しく、男性なら、飲み会サイコー的に楽しく写真を載せてくれます。それが当たり前で、逆に楽しくなさそうな写真なら載せませんし、送られたほうは気持ちが悪いです。楽しいよー、楽しいことやってるよー!と。
全然悪いことでもなんでもなく、人間として当たり前に良いことだと思います。
しかし、他人から見ると、いわゆるリア充自慢に捉えられる、ネト充で孤独感だらけの人には嫌味かとみられる。
ここがネット利用の中で、一番むずかしい所だと思います。
他にはネトゲでの人間関係であったりステータス自慢が意図無く発生したり、どこそかの掲示板やそれ専用サイトでの年収自慢があったりと。
実は、ネットのことを書いているように見えるかもしれないのですが、現実世界でもまったく同じ問題が発生します。
他人に対しての優越感、自分が持っていないもの、できないことを見せつけられれば劣等感を抱く。これは普通の人間の心理だと思います。
普通の人間の心理が現実からネットにスライドされて、さらに直接会ってない状態でこのやり取りが発生するのがネットの厄介な所だと思います。
自分でも頻繁に思い当たるふしはありますが、普段、知らず知らずやっていることで、実は大きな社会問題を作り上げてしまうこがあります。
なぜこのようなことを考え出したかというと、自分自身があまり家を出ない性格というか、仕事でもでなければならない時以外、生活をルーチンワーク化させている問題があり、前々から色々気づいていてました。かと言ってなにか顔をあわせる所にも所属していない。自分自身を見ながら、社会問題を見るとわかりやすい。
この問題は、一時期マスコミが社会問題化させようという動きは前々からあったのだが、一般的社会の影に隠れてしまって常に流されている。
そもそも、こもる人が悪い論もかなりある。
世の中を見ていたら、それがどんどん酷くなる、というか、一般的に生きている人と孤独格差に加速がついていると思います。
世の中の問題は新聞、TVに出るような凶悪事件、政治だけではなく、影に隠れた人間の尊厳、生き方にも左右する大きな問題はたくさんあります。
これは新聞によく載るのですが、SNSを利用した自殺相談。年々とんでもなく増えているそうですが、性質上、どのような人から相談があるのかはわかりませんが、SNSを使ってまで自殺をするかどうかのような深刻な相談をするレベルであれば、想像は付きます。
これが、一般的な日本の未来になってはいけない、と思っています。
上記に考え出した理由を書きましたが、それを思うベースとなったことがありました。
元々友達がSNSで知らない人と全然別の会話していた所を見てて、なるほどと思って、別コードをそのまま再利用したボロボロ的適当なサンプルWEBアプリを作ってみたのです。
元々ネット民をリアル民にそのままスライドさせるアプリだった、それ以前になぜこれを思いついたのだろうかと思ってたときに、そもそもこれは自分の願望そのものだろう、というか、コンセプト修正をしてコードを書き直したら、孤独を感じている人や、疎外感がある人に現実世界との差分が感じれるんじゃないかと。
だから、自分は政治家でもないので、一票投じるところまでしかできない。
解決策も考えずに文句だけ言うのは、卑怯者だ。
だから、この問題は、ライフワークとして取り組もうと。せっかく今まで社会人生活25年間で積み上げてきたノウハウも使える。
なにもできずに寿命がきて、なにもやらなかった、やればよかったと思いながら死んでいくのは、何もやろうとしなかった自分へ、そして社会への罪でもある。
その頭の整理はnoteに公開してしまったほうがやらざるを得なくなる(笑)。今このサイトに書いたのは自分を動かすのにはサイトにやります宣言してしまったほうが、モチベーションが上がる。
まったくというか、完璧にメイン業務から外れてる仕事な気もしますが、そんなことは現在、会社員でもその従業員でもない選択を以前したので、どうでもよいことだと思います。
社会性が高く、課題化させることを目的にパブリックリレーション活動での認知度向上、さほど資金調達はいらない気もしますが、計算的に無いよりあったほうがPRに含め広告予算取れたりとかで、小さく初めて育てるのはクラウドファンディングを活用すれば十分かと。
なんでもかんでもボランティア活動を善しとしないので当然利益は取っていくのですが(活動継続性も含めですが、社会性がある仕事はなぜか利益をとってはいけないという風潮を嫌いますので)、仕事を通して、すべてを解決できるとは思うはずもないので、この問題を解決に向かわせるアプリを開発し、それを通じせめてでも問題提議をしていければと思います。
上記のように書いたので、リア充写真やコメントをダメだと言っているわけではまったくありません。逆にそう受け取る側のその生活環境、生活スタイル、思考に問題の比重が高いと思っています。
その点、誤解されないようお願いいたします。
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