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2024.1/9

2024年になったら、日記をつけようかな、そんな風に考えていて。
けれど最近はPCの画面が明るすぎてしんどくて、はたして書いていくことができるかしら、なんて2023年の年末に思っていましたが、なんというか、ただディスプレイの設定を行っていなかっただけだと気づいただけでも、2024年の出だしはよい方なのではないかな、と考えることにした今日。

2023年は、いろいろと考えることが多くて、いやここ数年なんやかんやと考え続けていて、一週間に数日はもやもやと考え続けることが多かった。
アウトプットすると頭の中は整理されるので、できるだけ外に出したいな、と思っているものの、書くべき媒体がどれもしっくりこず。
そういえば数年前に起こしたnoteがあったな、とまさにノート代わりに使おうと思い立ったものの、上記のPC画面問題で腰を重くしておりました。

20年くらい前のmixiが全盛期だった頃に、Yahooブログにせっせと記事を書いていた時代があり、その時に地元の幼馴染から「あなたは書くことをやめないようにしなさい。書いて消化しなさい」と言われたことをずっと覚えていて、ああ、この気持ちをどこかに書きたいな、、、と思い続けていて。今年ようやく、またどれほどの頻度で書けるのかは不明だけれど、日記として書いていけたらなあ、と思っています。

そんなゆるゆる、年末の段階で来年になったらとりあえず何か書いてみて、書くきっかけから始めよう(どうせ誰も読まないし)と思っていたら、(いえ読まれないのはそのままでよくて)元日から大きな災害が起こってしまい、また書き出すまでに時間が必要になってしまいました。

だれもが笑っては過ごせない2024年の正月。ここ数年は政治問題にかぶれていることもあり、今回の震災の初動ののろさに苛立ちを募らせています。現場は必至で救助や災害対応に当たっているのに、薄笑いの記者会見を後にした後に(記者からの原発に関する質問を無視)テレビ出演している首相。そのころ輪島は猛火に襲われていたのに。助かったかもしれない命があったかもしれないのに。

書くべき媒体を決められなかったのは、mixiやってた頃も行儀の悪い人はおりましたけれど、今よりはまだマシだったように思う。そのころはネットは怖いって避ける方も多く、やっている方はそんなことないよ、とお行儀よく画面の向こうの人を思って発信していたように思う。それが良かったのか悪かったのか、いまのネットリテラシーを考えると悩む。
そんな「嫌な気分にさせるネット」から離れるために写真中心になったInstagramも、今やマウントの取り合いで中身はからっぽ。TwitterはXになってしまって、今回の災害で以前に比べ本当に役に立たなくなってしまったことが分かった。そんなXから離れる人々の受け皿のつもりでたちあがった(収益的にも)だろうスレッズも、最初こそほわほわとよい雰囲気であったけれど、最近のおすすめはネガティブな文句系のものばかり。と言っている私もここで文句をたれているのだけれど。

お互いをけん制しあって被災地に行かない政治家たちは、各党から代表をたてて1名づつ被災地に入ればよいと思う。現場をみたら、今すぐにでも動かない訳はないだろうと思う。津田大介さんを見習ってほしい。

被災地の一日でも早くの支援を心からお祈りいたしております。


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