長尾和宏 丸尾多重子 著『親の「老い」を受け入れる』を読んで(後編)
前回の続きで、表題の本の後半を読んでいきます
ちなみに私には、介護されてるおばあちゃんと
おばあちゃんを介護するお母さんがいて、
お母さんのお姉さんである叔母さんもいます
*オムツをつけた途端、哀しみと羞恥心のあまり
一気にボケが進んだ人を、何人も見てきた
*家族がお見舞いに来なくなると、
「ああ自分は家族から捨てられたのだ」と感じます。
捨てられたと悟ったときほどプライドが
傷つく瞬間はありません。
家族が会いに来ないとわかると認知症の進行が早くなります。
捨てられたという悲しみを忘れるために。
いつでも家に帰れる、という安心感が最高の薬になる。
*介護とは、子育ての映し鏡。
幼い頃の楽しい記憶、幸せだった記憶がないのであれば、在宅介護は無理。
過去に親にされた酷いことを、つい、
仕返しのように無意識に親にやってしまう。
*人生とは干し柿になっていく旅
*大事なのとは待つこと
オニグラを作るように、じっくりと
以上、通読しました
私のおばあちゃんは、私よりもたくさんの薬を飲んでます
私もたくさん飲んでいるから、
毎日たくさんの薬を飲む辛さを知ることができた
それと、多剤投与には副作用もあるらしいね
薬のせいでぼーっとしたり、失禁したりね
将来の親にだけじゃなくて、今、孫としておばあちゃんにできること、まだありそう
テレビ電話や、韓国語を披露すること
撮った写真を印刷して見せること
死はいつ訪れるか分からない
おばあちゃんにだけじゃなく、私にも
だから先延ばしにしないでおこうね
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