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「聖年2025 希望は欺かない」

日時:2025年2月26日
テーマ:聖年2025希望は欺かない
講話者:アンドレア補佐司教様

1.ジュビリー(聖年)の意義と背景
 聖年はヨベルの年と呼ばれ、レビイドバタ対面開催「聖年2025 希望は欺かない」記25章8-13節に基づく特別な年です。レビ記には7という数字が繰り返されていますが、これは天地創造が7日間で行われたことを意味します。神が人間を創造された出来事が、ここで再び新しく開始されることになります。
タルムードによれば安息日は自分の仕事から離れることです。つまり、人間に神はこの世界をお任せになられたということです。聖霊を通して働かれていますが、直接的には介入されません。ですから、負債を帳消しにして、奴隷を解放し、土地を返却することで社会に平等な世界を作り出すのは神様の話ではなく、人間の話です。
しかし、イスラエルにおいて歴史的に本当にヨベルの年が実現したことはありません。これは目指すべきものとしてあります。
 ルカ4章16-21節には、主の恵みの年を告げる出来事が書かれていますが、聖書に書かれていることはいつもミサで読まれる時に、耳に聞いた時に実現しています。宗教のことを社会のことに合わせる必要があります。世界や社会の出来事を無視してはいけません。色々なことが起きています。

2.2025年の通常聖年「希望は欺かない」
ゆるし
 聖年において最も大切なポイントは「ゆるし」です。自分の中の心のくさりを解放する必要があります。自分のことをゆるすこと。私(アンドレア補佐司教)は温泉依存症です。最初は戸惑いましたが、すぐに慣れました。寒い日にお湯につかると、お湯につつまれて、あたたかくてほっとします。そしてはだかです、傷があれば痛みを感じます。聖なる年は温泉のようなものなのです。
 個人も社会も傷だらけです。温泉に入って、あたたかさを感じて、癒される年です。せめて一年間神のもとで直すべきことを直し、ゆるすべきをゆるす年なのです。新しく立ち上がるのです。
平和と正義
 よりよい社会のために、正義と平和は2つの柱です。社会的弱い者のために何ができるのかを考える必要があります。教会の中にも難しい問題があります。子どもの性虐待がありました。聖職者達の子どもたちの扱いは悪いのです。
 2025年はニケア公会議1700周年となりますが、今年は東西のキリスト教教会の復活祭が同日の年になります。教皇は同日に祝うことをこれからずっと続けられるようにと、聖公会と正教会に呼びかけています。

3.聖年の四つの聖なる扉
 12月24日に4つの聖なる扉を開くために、扉の前にある壁を壊し、鍵で開きます。聖なる年が終わる時に壁を再び作ります。次は25年後になります。
別にローマに行く必要はありません。扉をくぐらなくても、イエスを通して、私たちはイメージをもって神のもとへと帰るのです。もう一度神のもとへ。社会的にも、信仰においてもゆがみがあれば正すのです。



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