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ミサを味わう(5)その2
田中 昇(東京教区司祭)
第5回 「回心の祈り」(その2)
良心の糾明
回心の祈りはまた、私たちが罪に陥った4つの領域について真剣に考えるよう迫ります。すなわち、「思い、言葉、おこない(したこと)、怠り(すべきことをしなかったこと)」です。これら4つは、良心を吟味するうえで優れた役割を果たします。
① 「思い」
聖パウロは、私たちの思い、考えを守り、善に集中し続けるよう勧めています。
「すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、賞賛に値することがあるならば、そのようなことを心に留めなさい。」(フィリ4:8)
イエスは山上の説教で、思い・考えにおいて私たちが陥る罪についていくつかの警告を与えています。例えば、だれかを肉体的に傷つけたことはなくとも他者に対する怒りにより罪を犯すことがあり得るのです(マタ5:22)。実際に他人に触れなくとも、私たちは情欲を抱くことにより心の中で姦淫を犯したことになるのです(マタ5:27-28)。人を裁くこと(マタ7:1)、明日の心配をすること、あるいは深く落胆し絶望してしまうことによっても、私たちは心で主に対して罪を犯すことになるのです(マタ6:25-34)。
➁ 「言葉」
ヤコブの手紙は、舌は火であると警告しています。発せられた言葉は、賛美にも呪いにもなり、邪悪なことのために使われた場合、大騒動を引き起こします。
「あのような小さな火があのような大きい森を燃やします」(ヤコ3:5)
聖書では人を傷つけるために言葉が使われる様々な例を挙げています。例えば、陰口、うわさ話(2コリ12:20, 1テモ5:13, ロマ1:29)、そしり、悪口(ロマ1:30、1テモ3:11)、侮辱(マタ5:22)、偽り(コロ3:9, 知 1:11, シラ7:12-13)そして、驕り高ぶり(詩5:5, 75:4, 1コリ5:6, ヤコ4:16)。これらの、またその他の言葉の罪を私たちは回心の祈りで告白しなければなりません。
➂ 「おこない」
この領域には、たいていの人が共通して思い描く罪(直接、他の人あるいは私たちと神との関係を傷つける行為)が含まれます。このようなことについては、しばしば、良心の吟味の基礎となる十戒が使われます。
④ 「怠り(すべきことをしなかったこと)」
これはもっとも難しい部分であるといえます。私たちは、自分の犯した自己中心的な、高慢な、そして邪悪な行為に対して責任を負うだけでなく、最後の審判の日に、行うべきであったのに行わなかった正しいことに対しても責任を問われることになるのです。ヤコブの手紙ではこのように教えています。
「なすべき正しいことを知っていながら行わないなら、それはその人の罪です」(ヤコ4:17)。
回心の祈りのこの部分は、キリスト信者の道は、罪深い思いや言葉、欲望、悪行をしないという否定神学(via negativa)にとどまらないことを思い出させます。キリスト信仰とは、究極的には「キリストにならうこと」(imitatio Christi)なのです。私たちは、キリストとキリストの徳を身につけなければなりません。聖パウロは、深い憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容、そしてとりわけ愛を身につけるようコロサイの信者に説いています(コロ3:12-15)。イエスは、私たちが罪を避けること、悪いことをしないことだけを望んでおられるのではなく、自己犠牲的な愛において私たちに積極的な善を行うよう成長してほしいと望んでおられるのです。
このことから福音書に出てくる金持ちの若者の真に誠に悲しむべきものなのです。彼は十戒を完璧に守っていた立派なユダヤ人でしたし、それは実際すばらしいことでした。しかしながら、彼はキリストの呼びかけに応えようとはしませんでした。若者は、自分の持ち物を売り払って貧しい人々に与え、イエスについていくことができませんでした。このことが彼の過ちでした。彼は、回心の祈りにおける良心の糾明の最初の3つのレベルにおいては「A」の点数を取ったかもしれませんが、イエスが彼に言われたより高い善、神の義を求めなかったために神の国から未だ遠く離れたまま去っていったのです(マタ19:16-24)。ミサでの回心の祈りは、私たちが生活の中で金持ちの若者の持ち物のような、たとえそれが悪いものではなくても手放せない物がないか、私たちがキリストの呼びかけに従うのを妨げているものはないかということを私たちに問いかけています。
(続く)
次回は第5回「回心の祈り」(その3)です。