キリスト教Q&A(Salt, for All)
オリエンス宗教研究所発行の週刊『こじか』で2022年5月分から全9回にわたって連載された、ミサで用いられる祭具を紹介するページです。
田中昇神父様のミサについての解説「ミサを味わう」です。十数回にわたって、ミサについて、わかりやすい説明で学ぶことができます。
カトリック教会では、古代から、神さまから特別に豊かな恵みをいただいて、神さまの証しをするように生きた人々を、聖人として認めてきました(聖人の前には福者、あるいは尊者という段階の位置付けもあります)。 聖人と認められるには、神さまを信じているキリスト者が殉教したり、特別な奇跡があったなど、いくつかの条件があります。その条件を満たして認められた聖人の生き方に倣いながら、わたしたち一人ひとりが、神さまに導いていただけるように、今は神さまのもとにいる聖人にもそれを助けてもらえるように
カトリック教会で聖人や福者とされているのは、昔の人々ばかりではありません。 現代の聖人としてマザー・テレサはとても有名ですし、最近、聖人になる前の段階の福者として認められた人物としてカルロ・アクティスという人物はとても注目されています。 カルロは1991年に生まれたイタリア人のサッカーが大好きな男の子でした。彼は友人にもとても優しく接し、熱心な信仰をもっていました。 特に、中学生の頃には、子どもたちにキリスト教のことを教えていたといいますし、またアッシジのフランシスコのよう
オリエンス宗教研究所発行の週刊『こじか』で2022年5月分から全9回にわたって連載された、ミサで用いられる祭具を紹介するページから 第7回~最終回を掲載しました。 Saltチーム
オリエンス宗教研究所発行の週刊『こじか』で2022年5月分から全9回にわたって連載された、ミサで用いられる祭具を紹介するページから 第4回~6回を掲載しました。 Saltチーム
オリエンス宗教研究所発行の週刊『こじか』で2022年5月分から全9回にわたって連載された、ミサで用いられる祭具を紹介するページ 第3回目です。 Saltチーム
オリエンス宗教研究所発行の週刊『こじか』で2022年5月分から全9回にわたって連載された、ミサで用いられる祭具を紹介するページ 第2回目です。 Saltチーム
オリエンス宗教研究所発行の週刊『こじか』で2022年5月分から全9回にわたって連載された、ミサで用いられる祭具を紹介するページです。 祭具の名前だけではなく、ミサのなかで伝統的に用いられている理由、役割などにもふれています。また、ワークシート形式で、絵を描いたり、色をぬったりしながら、祭器具について学ぶことができるように工夫しています。祭具を通して、子どもたちがミサに親しむことができるよう、また教会での奉仕活動に役立てられるよう期待しています。 週刊『こじか』について 子ど
田中 昇(東京教区司祭) 第20回 「感謝の典礼」派遣と祝福 祝福 ミサ聖祭の終盤、散会する前に、司式者である司教[1] あるいは司祭は会衆に向かって、「派遣の祝福」をことばと十字架のしるしとともに与えます。祝福を受けた信者は、再び、自らの生活の場に戻っていくことになります。祭儀にあずかった人々は、聖体拝領で受けたキリストの御体を糧にして新たな生活へと祝福とともに送り出されていきます。 ところで祝福は、送る側と受け取る側の二者があって初めてその間で成立するものです。
田中 昇(東京教区司祭) 第19回 「感謝の典礼」交わりの儀(4)聖体拝領 みなさんはこれまで、ミサを婚宴だと考えたことはありましたか。ミサのことを考えるとき、私たちには「典礼」、「交わり」、「真の現存」あるいは「いけにえ」ということばがすぐに思い浮かぶかもしれません。しかし、結婚というのはどうでしょうか。ともかく教会の教父たちから十字架のヨハネの神秘詩に至るまで、そしてさらには教皇ヨハネ・パウロ二世の神学的著作に至るまで、カトリック教会は、典礼の頂点である聖体拝領を
田中 昇(東京教区司祭) 第18回 「感謝の典礼」 交わりの儀(3)平和の賛歌(アニュス・デイ) 交わりの儀の聖体拝領へと続く部分は、これから考察することになる三つの儀式を含みます。すなわち、①パンを裂くこと、②キリストの御体と御血の混合、③そして「神の小羊」の祈りの唱和です。 ここで司祭は、聖体となったパンの分割(fractio panis)すなわち「パンを裂くこと」として知られている象徴的な行為において、聖体となったホスチアを裂きます。古代のユダヤ人たちにとって
田中 昇(東京教区司祭) 第17回 「感謝の典礼」 交わりの儀(2)平和のあいさつ 平和を願う祈り 御父に平和の賜物を願った後、司祭は、最後の晩餐のときにイエスが弟子たちに語ったことば、すなわち「私は、平和をあなたがたに残し、私の平和を与える」(ヨハ14:27)を思い起こしながら語りかけていきます。この一節において、イエス自身、自らが与える平和とは「世が与えるような」平和ではないと説明しています。この件と似た表現がヨハネ福音書の15章11節に見られます。「私の喜びが
田中 昇(東京教区司祭) 第16回 「感謝の典礼」 交わりの儀(1)主の祈りと副文 主の祈り 主の祈りは、福音書の中で唯一イエスによって明確に教えられ(マタ6:9-13; ルカ11:1-4)、幾世紀にもわたってミサの中で使われてきた祈りです。『ディダケー』によれば、初期キリスト者は、日に3回この祈りをささげていたようです。キリスト信者の中には、この祈りは、子供の頃から習った型にはまった祈りであり、また日曜日ごとに単純に繰り返す形式的な文言になっているという人もいるかもし
田中 昇(東京教区司祭) 第15回 「感謝の典礼」(その5) 奉献文−信仰の神秘、記念と嘆願 「信仰の神秘」 わたちは、今、ミサの中でもここぞという時に到達しました。司祭がパンとぶどう酒の上に聖別のことばを語った今、それらはキリストの御体と御血になっているのです。敬虔な気持ちで、司祭は、キリストの御血が入っているカリスの前で、沈黙のうちに神を賛美しながら敬虔に深くお辞儀をしてから[1]、厳粛に「信仰の神秘」(Mysterium Fidei)[2] と言います。 [1
田中 昇(東京教区司祭) 第14回 「感謝の典礼」(その4) 奉献文−聖変化:エピクレーシスと秘跡制定句 聖霊の働きを求める祈り−エピクレーシス 古代ユダヤ人の食卓の祈りにおける杯の祝福は、神がメシアをイスラエルに遣わして、ダビデの王国を再建して下さるようにとひたすら願う祈りを含んでいることを、私たちは既に見ました。至極当然のことながら、初期キリスト者たちは、これと同じ懇願を奉献文に含めました。エピクレーシス(Epiclesis)[1] と呼ばれる聖霊の働きを求める祈
田中 昇(東京教区司祭) 第13回 「感謝の典礼」(その3) 奉献文−感謝の賛歌Sanctus 私たちは、この言葉に促されて、聖体祭儀において現実に起こっていることを天使の視点で見ることができるようになります。起句である「聖なる、聖なる、聖なる神・・・主よ」によって、私たちはすぐさま霊的に天に引き上げられます。これはイザヤ書6章3節に由来するもので、この箇所において預言者イザヤは天の王が神の玉座に座しておられる幻を見ていました。そのとき、王の威厳が厳かに現れ、天のみ使い
田中 昇(東京教区司祭) 第12回 「感謝の典礼」(その2) 奉献文−叙唱 現在のカトリック教会には主に、5世紀頃からローマ典礼の奉献文(Canon Romanus)として約1500年近く用いられてきた奉献文に依拠した第1奉献文をはじめ、第二バチカン公会議後に新たにカトリック教会が公認した第2、第3、第4奉献文、および2つのゆるしの奉献文、3つの種々の機会の奉献文があります。第2奉献文は、3世紀初頭のローマのヒッポリトスの『使徒伝承』に記されている奉献文に依拠したもの、