日誌(2/365 読まれることを意識するスイッチを切ること)
2024年2回目の記事作成です。
あっという間に4月が終わろうとしている。
と今までの自分は思っていた。
でも、きっとその感覚は変わろうとしていて、
「時間があっという間に過ぎる」ではなく、
「時間があっという間に感じるような毎日の過ごし方を自分が選んでいる」
と今の自分は考えている。過去の自分の考えが間違っていたとは思わない。
時間が経って考え方が変わった、そのくらいの感覚でいる。
そして、ようやくnoteに戻ってきた。
さて、本題に移りまして、最近、自分がビジネスマンにすっかり染まっていることを痛感している。
メールの書き方、資料の作り方、ブレゼンの話し方、これらのいずれにおいても定められた時間(インプット)のなかで、多くの成果(アウトプット)を出す、つまり「生産性の高い」働き方を目指して、試行錯誤して、1日また1日を繰り返している。
業務においてはこれでも良いかもしれない。
ただ。noteの時間は違う。ビジネスと同じではない。
そうでないと、すべての時間がビジネスの自分に埋められていく。
書きたいことを書く、結論や提案が無くったって、インサイトを示さなくたって、それはそれとして在ることができる
当たり前と思っているところが、自分が自分に求めているレベルが年々高くなっていると感じる。
昨日までの自分で在ってはいけない、すこしでも改善して、少しでも前進して、1つでも多くの課題を解決していく、そんな自分も好きだ。
その反対で、いろいろなことを思い描いて、空想してぼんやりしている自分だって好きだ。どちらも自分で、これからも大切にしていきたい。
前者に偏っているかもしれない、と後者の自分が呼びかけているような気がする。
この記事を書きながら、自分のバランスをとっているような、昔の自分を取り戻しに行っているような、そんな癒しを感じている。
仕事の場面では、たくさんの人と関わり・お世話になり・巻き込み、とにかく多くの人と仕事をしているうちに、自分よりも周囲の人を優先する、相手からどう見えるか、どう受け取ってほしいかを優先して一人ひとつの動きを作っている。
今は、そんなことしなくていい。
他人の目なんて気にしなくていい。思ったことを書こう。
そんな時間のために今、ここにいる。
他人ではなく、自分自身によって自分を加速させて、過剰な速さになっても止まれずに生活していた。
せっかくの連休、のんびり過ぎるくらいの時間で生きてみよう