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矛盾
どんどん変化することを望んでいる一方、
どんどん変化することをジャッジする私がいる
「そんな早くなくて良くない?」
「もっと、じっくり構えたほうがより良い選択ができるよ」
「早く変化することだけが大切じゃないよ」
…書き出してみて思った。
不自然。
もちろん、何でもかんでもすぐ変化するわけでもないけど、そのタイミングがきたら変化はするもの。
その自然に身を任せていない感じがする。
だから、逆に焦って変化しよう・したい、
ともしていた。
コントロールしよう・したい、と思っていたし、
できると思っていたんだなぁ。
傲慢、高慢、浅はか
めちゃくちゃ無理してるやん、私。
しんどかったね、私。
そして、変化していく中で、
結果、そのときの選択が間違えていたとしても、
それが問題ではないのだろう
そこから何を学ぶのか…
そこが私にとっては実は大事なことかもしれないのに、正解を選びたがる私がいることも事実
ただ、私の中にあるこの"正解"とは何だ?も曖昧な私
⚫︎今日知った私の部族的信念
(自分が思う)ゆっくり徐々に、変化はするものだ
→この「ゆっくり徐々に」が、
誰基準の「ゆっくり徐々に」なのか?
本来の私の変化のスピードって?
それも、時と場合に変わるのだろう。
⚫︎今日、得たもの
私の変化のスピードがある
人には人の変化のスピードがある
ということ
⚫︎今日、得られなかったもの
自然な私から出てくる決断と行動
〜私の「部族的信念」の定義〜子どものときに、家族、教師、宗教的しつけなどによって植え付けられる無意識の前提