介護するなら知っておいて欲しい!介護保険と、病院と、障害福祉とのコト
結婚当初から、義父母と同居しておりましたので、この10数年の間に、4人の両親をお看送りしました。
そして、ご縁があったのでしょう、4人全員の臨終の時に立ちあわせていただきました。
生まれる時も、ひとりひとりそれぞれですが、あちらに往くときも、それぞれ。
義父は、自分で言っていた通りに、ぴんぴんころりで、突然亡くなりました。
その後、まったく介護知識のないズブの素人の私が、とつぜん、3人の両親を、在宅と、通いで介護させていただくことになりました。
そんな体験から、何か少しでもお役にたてたら良いなぁ~と、時々経験談を発表させていただいています。
一般病院での身体拘束
実家の父は心臓を悪くしていて、入退院を繰り返した挙句、自分で退院すると言って、タクシー呼んで家に帰ってきてしまいました。
頭がハッキリしている父としては、いくら90歳過ぎだといっても、縛られたり、ベッドから降りたとたんにブザーが鳴るようにされたりするのは屈辱だった事と思います。
でも病院側も、夜間何十人もの入院患者さんを夜勤看護師さん2人くらいで看るのですから、しょっちゅうブザーで呼び出したり、動けないはずなのに、ベッドから降りたりされるのでは、困りものだったはず。
80歳過ぎていると、入院手続きの時に、たぶんどこの病院でも、万一のときの「身体拘束の承諾書?」みたいなのを書かされるのだと思います。(4人の両親とも、違う病院でしたが、皆、書かされました)
何事もない場合は、そんな事されませんでしたが、義母も点滴を引っ張ってしまうので、ミトンの手袋をつけられていました。
父も「拘束着」というつなぎの服を着せられて、手をあまり動かせないようにされていました。
(ある時など、父が「ハサミを持ってきて」と言うので、何をしたいのか聞いたら、「コレを切るから」と、留められてるバンドを切ろうとしていました★)
認知症になって、よくわからない場合は、それも仕方がないかもしれないけれど、頭がハッキリしてる人には、辛かったことと思います。
なので、父がとにかく家に帰る!というのなら、付き合いましょう、と思ったのでした。
ケアマネさんは選べる
ありがたい事に、元々義母をみてくれていたケアマネさんが、実家の地域の資格も持っていて一緒に担当してくださる事になりました。
それで、速攻でレンタルの介護ベッドや、介護度の再認定、在宅入浴の手配など、いろいろ考えてくださいました。
実家は、夜間は弟が居てくれましたが、早朝に出勤して昼間は誰もいないのです。
そして、母の方は、認知症が進んでいて、自分で色々判断するのがむずかしくなっていました。
それで、とにかく毎日わたしが通うしかないな、と覚悟を決めました。
ケアマネージャーさんも、「要支援1~2」の場合は、地域で指定のケアマネさん限定ですが、「要介護1~5」になると、地域指定のケアマネさんから担当が変わることになるのでした。
「要介護」になると、ケアマネさんを自分で選ぶことができるのだそうで、それで、義母がお世話になっていたケアマネさんにお願いする事ができたのでした。
義母のケアマネさんに、元々実家の事も相談していたので、本当に助かりました。
入院中は介護保険は止まる
「医療」と「介護」と「障害者福祉」と、ってどうも行政の担当が、別々のようなのです。
本人や、家族からしてみたら、一連の流れのなかで、担当が違う?って気がつかないじゃないですか・・・★
けれど、担当が別々なので、入院中は「介護保険は止まる」のだそうです。
レンタル代金も、止まっていたような気がします。
なので、入院中に介護保険を使ってレンタルなどの事を、退院見込みのない間に新規に用意してもらう事は出来なかったと思います。(何度も色々繰返したので、記憶があいまいですが)
退院する!となって、あわてて、ケアマネさんに連絡して、色々な準備をしていただきました。
ただ、家族は素人なので、どこまでが医療で、どこまでが介護保険の担当で、どこまでが障がい福祉なのやら?わからないのも事実。
遭遇するたびに、え?これってどういう事?と悩んできました。
でも、「聞く」のが一番!
なので、いちいち、これってどういう事ですか?と聞いて教えてもらいました。
そして、病院の関係者、福祉の関係者も、それぞれの事は専門家だけど、担当外の事は、個人の勉強次第・・という事になるようなのですね。
病院にも種類がある
医療のことは、わからない事が沢山あり、病院にも種類があるのだという事も知ってびっくりでした。
よく、3か月以上は入院できない、と聞いたことありませんか?
何故?と思っていましたが、ナンと法律で決まっているのだそうです。
そして病院には種類があって「急性期の病院」とか「回復期のリハビリ病院や慢性期の病院」そして、看取りまでの「療養型病院」とか、がある事を知りました。
急性期の病院は、だいたい2週間で退院、転院を推奨されるようです。
そして、治療方針が立てられない人は、苦しんでいても、急性期病院には入院させてはもらえないのです。(たいていの病院は急性期病院みたいです)
心臓を患っていた父は、亡くなる半年位前、苦しくて救急車を呼びましたが、治療ができないので、発作が収まったら寝たきり状態でも、帰ってくださいと言われて、車いすを取りに行ったことがあります。
看取りの場所って?
そして、「お看取りをどこでするか?」を聞かれました。
はじめ、何故それを決めなくてはいけないのか?意味がわかりませんでした。
まさか、病院に種類がある事も、救急車は「蘇生」を目的としてるので、お看取りの人は対象では無い事も、・・知ってるようで知りませんでした。
「自宅看取り」を希望するなら、万一の時には在宅で死亡診断書を書いてくれる、訪問診療などの医師と、契約を結んでおく必要があるわけです。
そして、万一の時に救急車を呼んではいけません。
救急車は、「蘇生」させるのが使命?だからです。
けれど、在宅診療の医師にお願いしていないままで、万一のコトが起こった場合は、警察を呼ばなければならなくなります。
そして「病院での看取り」を希望する場合は、終末期専門の「療養型病院」を探さないといけません。
これは、どうも地域で受け入れが決まっているようでした。
他には、「施設」という選択もあります。
施設にも、お看取りまではしてくれないトコロもあり、種類も色々ですし、しかも枠もあります。
とちらにせよ、ケアマネさんとしては、「どこか」「契約しておくトコロ」を探さなければいけないので、家族に「看取りの場所はどこを希望するか?」を聞かれるワケだったのですね。
父は、訪問診療の先生に毎月、来ていただいていましたが、まだ最期はどうするか?の契約まではしていませんでした。だったと、思います。
亡くなった年に、自分で「入院したい」と言い出しました。
でも、治療できない人は入院させてはくれない訳で。
それで初めて、お看取りの病院、という存在を知りました。
が、そこは治療を終えた人が入るところなので、(治療中の人は受け入れてもらえません)医療機械の音もなく、ほとんど喋れる人もなくて、静かな病棟が多いとのこと。
ケアマネさんが、まだ頭がハッキリされてるお父様には、ちょっとお辛いかも・・・との判断で、しばらくは本人には、入院だといって介護施設に「ショートスティ」させていただく事にしました。
介護施設ならば、自分は寝ていても、色々の行事があったり、刺激もあります。
しかも、父は認知症の母のことが心配でならなかったので、部屋が空いてる時には、母も同じ施設にショートスティさせてもらえました。
認知症のお陰で母も「要介護3」だったので、そこの施設で泊まれたのです。(施設によって、介護度での受け入れが決まっています)
お願いしたら、2部屋確保はした上で、父の部屋に母のベッドを入れてもらう事もできました。
ただ、父は在宅酸素をやっていたため、最終的にはお看取りの「療養型病院」をすすめられていました。
地域に、3つしかないその病院を見学に行きましたが、申し込みの審査があり、自力で申し込みした時には断られてしまいました。
酸素の量が多かったり、終末が近いと、ダメらしいのです。
で、長年通院している主治医に相談したところ、病院に「レスパイト入院」という枠があるのだと教えてもらいました。
介護者のための「休暇?」とか「行先」が決まるまでの間、ある程度の病床数ある病院には、レスパイト入院の枠が、少しあるのだとのこと。
それで、主治医のいる病院でレスパイト入院させてもらい、その間に、主治医から、前に断られた療養型病院に、紹介状を書いてもらう事ができました。
そうしたら、OKが出て、救急車で転院させてもらう事ができました。
最期の療養型の病院は、外来もやっている病院でした。
でも近所の人には、そういう「お看取り専門の病院」があるという事は、あまり知られていないのだと思います。
病院の近所で友人に会った時「あの病院は、入ったら死んでしまうらしい」という噂話を教えてくれました。
まさか、「治療が終わった人しか入院できない病院」があるとは、当初はわたしも知りませんでした。
それで、友人には、そういう専門の病院なのよ、と伝えたのでした。
父は、そこで2週間過ごすことなく、天に召されました。
もう食べれなくなっていたけれど、好きだったものを、流動食にしてくださったり、昼夜がわからなくならないように、誰も見れないけれど、TVをつけてあったり、しました。
コロナの前だったので、母を連れて、毎日通うこともできて、ありがたかったです。
高齢になってからでも、障害者手帳はもらえる
そして、もうひとつ、後でわかった事ですが。
「寝たきり」だったり「難聴」だったり、高齢になると起こってくる事でも、「障害者手帳」と、それにともなう援助が受けられるのですね。
高齢には、皆がなる事だから、対象外なのだと思い込んでいたのですが。
義母が、耳がかなり遠い!と気づいたときに、初めてお世話になったケアマネさんに、耳鼻科を教えてもらって受診したところ。
その医師が、ちょうど資格をもった医師だったらしくて。
「聴覚障害の4級」程度なので、申請したら補聴器の補助がうけられますよ、と教えてもらったのです。
ちなみに、障害者手帳の申請には、「第15条指定医師」という資格が必要なのだそうです。
だから、どの医師にでも、申請してもらえる訳ではないようです。
補聴器は、結局合わなくて、外してしまう事が多いので、最初からいきなり高価なものを買っても、使わない可能性もあります。
義母も、結局は、ほとんど使いませんでした。
けれど、この時に教えていただいたお陰で、全額市の補助をいただいて試すことができたので、有難かったです。
それから、義母は晩年の2年ほどは、まったくの寝たきりでした。
この時も、「身体障害者手帳」の申請という事は、まったくアタマになかったのです。
高齢者は適用外だと思っていたので、ケアマネさんに聞いてみる事も思い付きませんでした。
ケアマネさんも、福祉のことは専門外なわけで・・・
結局亡くなる2か月前に、手帳の申請が出来るかも?と気づいてくださり。
そして、訪問介護に来てくださってるクリニックに、資格ありの医師がいらしたお陰で、診断書を書いてもらう事ができました。
そのお陰で、身体障害者手帳の1級をいただける事になりました。
市町村によって、福祉の案件は違うようですが、在宅で重度の介護の場合には、65歳以上でも毎月いくらかの手当を支給していただけたることになりました。
それに1級だと、水道代の基本料が半額だったり、駐車場の優先があったり、結局使ったことはありませんでしたが高速代とか運賃とかの割引もあるようです。
本当は、まだ動ける介護の時の方が、駐車場の優先は欲しかったですけれどね。
(でも、超高齢化社会では、皆が優先欲しいですよね・・)
どちらにせよ、「知らない」と、何も申請する事も出来ないのです。
申請前から2年も寝たきりだったけど、それは遡ってはもらえません。
なので、色々と「知っておく」または「知ってる人が誰かに教えてあげる」事って、大事なのだと思います。
それで、こちらにも長々と、載せさせていただきました。
元記事は、自分のブログです。
ここに「にこにこ介護のおススメ」として他にも何記事か投稿してあります。
良かったら、こちら↑↑↑ も、ご覧くださいね。
読んでくださって、ありがとうございました。
どなたかのお役にたてたら、嬉しいです。