自分のこと徒然その11ーようやく親との関係について一歩踏み出せましたー
こんにちは、さりままです。かなり間が空いてしまいました。
いきなり真夏なきょうこのごろ、からだがついていくのがちょっとしんどいですね。
緊急事態宣言も解除されて、そろそろと世の中が動き始めていますね。個人的には、今回の自粛要請が良かったとか悪かったとか、そういう検証にエネルギーを使うつもりは、とりあえずありません。
でもとにかく、以前と同じ世界には戻れないんだろうとは思います。なので、変わりゆくこの世界の中で、自分はどう生きるか、そして次の世代がどう生きて行くのかに思いを馳せたいです。
さて今回は、音楽との関係に関しての親への思いに気づく以前にさかのぼり、親に対する恨みや怒りの問題が、どのようにして浮上してきたか、それにどうやって向き合ったのか、そして、どうやって親との関係に起因する「混乱」や「生きづらさ」から解放される方向へ進むことができたのか、思い起こしながら書いてみたいと思います。
前の記事にも書いたが、ピリカと出会う以前にも、「親との関係」における傷から来るセルフイメージの低さや、自分や周りの人々への認知の歪みに気づかされたことは何度かあった。
学生時代には、自分の恋愛関係を通して、不健全に親を意識し過ぎる自分に気づいた。
子どもを育てるなかでは、更に生きづらさを身に染みて感じるようになった。我が子がかわいく、いとしいのに、同時に心のどこかで、ほかならぬ我が子を、自分の子ども時代と比べてうらやんだり、何かのきっかけでライバル心のような思いを抱いたりする自分を見出した。
そんな自分がいやで、苦しくて、辛くて、「どうにかしてほしい」と天の父である神に祈った。
学生の時は、上に書いた一件を通して、自分がどれほど「自己チュー」であるかを思い知らされた。結局、恋人より、親より、自分が一番かわいい自分。外ではきれいごとを言ってても、追いつめられると自分のことを一番に考える自分。また、「親に愛され、認められたい自分」と、「親になんかもう何も期待しないという自分」という2人の自分がいることに気づいた。
その葛藤の中で、そんなどろどろした自分のすべてを知っておられて、その泥沼から引き上げ、まるごと愛し、受け入れてくれたイエスに、より深いレベルで出会った。「親はカンペキじゃない」という、頭では知っていた事実を心で受け取り、神への祈りのなかで、「弱さもずるさも持ち合わせる親の、ありのままの現実を認め、受け入れ、赦す」ということを初めてした。確かに心が格段楽になった。
でも、結婚して子どもを産み育てるなかには、より苦しい現実が待っていた。我が子はすごくかわいいのだが、同時にどこかで「子どもがいるから自分の時間、エネルギーを奪われる」、「子どものおかげで自分のやりたいことができずに束縛されている」という感覚が拭えなかった。
そのくせ、子育てについて、何か「理想」とも「幻想」とも言えるような漠然とした「目指すあり方」を持っていた。たとえば、寝る前には絵本を読み聞かせるとか、健康に気遣った、なるべく手作りの食べもので育てるとか。毎日公園に連れて行って、一緒になって遊ぶとか。
もちろん、それらを100%意地だけでやっていたというわけではなく、実際楽しんでもいた。好きだったのだと思う。
でも、それを実行している自分を、どこかで母と比べて「私のほうが母親としてよくやっている」と比較するような思いがあった。そして子どもに対しては、時折ふと「あなたたちはいいわよね、私はこんなふうには育ててもらわなかった」といったような卑屈な、妬みのような思いを抱くことがあった。今思えば、実に「めんどくさい」、はた迷惑な人間だ。
子どもが2人、3人と増えていく中で、自分のなかの、どうにもコントロールしがたい「インナーチャイルド」が、何かの拍子に表れて、いらいらしたり泣いたり、子どもに当たったりすることも少なからずあった。
4人目の子どもが生まれてしばらくしたころから、やっと少し余裕ができた。そこで、そういう自分に向き合ったり、単に1人で静まる時間がほしかったりが切実だったので、グループカウンセリングのようなことをやっている、クリスチャンのワークショップに時々参加した。
そんななかで、いくつかのことを思い出し、いくつかのことに気づかされた(私の幼少期について以前に少し書いたのは、こちらからどうぞ)。
https://note.com/sallygrace/n/na30f36ca10ba
5人兄弟の2番目、長女。
兄はどちらかというと繊細なタイプだったこともあり、母にとって私は「頼もしい長女」だったこと。物心ついたころから、妹たちの面倒を見たり、お手伝いをしたり、母のいろんな大変さについての理解者であったりすることで、母の歓心を得ようとしていたこと。「かわいがってもらった」という感覚はほとんどない。
父はと言えば、典型的な「ゲージツ家」タイプの人間で、経済的にはともかく私たち5人兄妹を育て上げてはくれたものの、「父親」らしい関わりは、ほとんどなかったこと。私が覚えている限り、朝、学校へ行く頃には父はまだ寝ていたし、帰ってくる時間にはもちろんいないし、夜もたいてい、音楽会からの呑み、コースで、遅い時間まで帰宅しなかったこと。そしてしばしば、夜遅く酔っぱらって帰ってきて、機嫌が悪い時には母をなじる声が寝室まで聞こえてきたりしたこと。そんななかで、私にとって父とは、「よくわからない、遠い、苦手な人」に、いつからかなってしまったこと。怖い、苦手、という意識が強い。
父、母に「愛された」という「感覚」がないことに気づき始めたのは、こういうワークショップに参加するなかでだった。頭では「理解」はしている。両親がそれぞれなりに、私を愛してくれていたんだろう、と「想像し、考える」ことはできる。でも、実感がなかった。
末っ子が産まれた直後の夏、子連れで参加した宿泊型のワークショップで、講師(学生時代から知っている、当時、肉親の父よりも父のような存在だった方)と個人的に話す時間を取ってもらい、上に書いたようなことを聞いてもらった。
その時、その講師が分かち合ってくれたことは、このようなことだった。
彼自身も、親との関係はよくなかったこと。キリストと共に生きる人生のある時期、「自分の内側にあった『期待していた親像』に、現実の親が合わない」ということで、怒ったり、悲しんだり、傷ついたりしてきた過去にお別れの儀式をするように導かれたこと。まず、「自分の期待した理想の親ではなかった」現実をそのまま認めて受け入れ、親を赦すこと。そして、親に対して否定的な思いを抱き続けてきたことについて、神に悔い改め、自分で親に抱いてきた幻想を手放すこと。
聖書には、このような言葉がある。
「あなたの父と母を敬え。」 (出エジプト記20:12)
「さばいてはいけません。さばかれないためです。」(マタイ7:7)
「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」
(エペソ4:32)
これを聞いて、私もこの「儀式」をすることに同意し、それを選んだ。その講師も一緒に私のこの「儀式」に立ち会い、その告白、悔い改め、宣言の祈りをすることを励ましてくれた。父、母、それぞれとの関係自体が苦しかったし、それが自分の子育てに良くない影響を与えていることを実感していたからだ。
この日を境に、少しずつではあるが、「生きづらさ」というものは軽減していった。心が軽く、それまでより自由になったと感じた。子どもたちに対しても、以前のような歪んだ感情を抱くことが少なくなっていった。
しかしかかし、人間というものはけっこう複雑に造られていて、一筋縄ではいかなかった。ピリカと出会い、音楽と再会するのはこの後なのだから・・・。