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光も影も


がっちり自分と向き合って、じわじわ洗い出される姿に
おえっぷ
となりながら休日最終日は過ごしているところです。

自分の「影」、表に出したくないぐずぐずした自分ではみっともない。と持っている部分がくっきりわかってきたところで
自分の「光」、表に出ている他の人にも見せていい部分にどうも大きく影響しているんだわ。と気づいちゃっております。

まぁ、「影」部分あってこその「光」部分の私。なんでしょうなぁ。


光と影、について。内面の部分もですが、小さいころにそれぞれなんと美しいのだろう。と一つの本を通して感動したことがあります。

家にあった本の中の挿絵が影絵だったのですが、光の部分のじんわりした色合いと影の暗さに子供ながらにうっとりして何度も読んだ記憶があります。

その影絵を作っていたのが、藤城清治さんです。

メルヘン全面という作品もあるのですが、影の使い方がとても絶妙で
作品の中から悲しみ、など感じるものもあるのがまた素敵なのです。

昨年の初冬、久しぶりに作品を見に行きたくなり美術館に軽いドライブを兼ね行ってきました。



この美術館は山の中にあり、行くまでの道のり晴れているのに道路が凍結していて若干のスリルもあり運転するというおまけつき。


この美術館に行くのは25年ぶりくらい。四半世紀過ぎてしまった。
イメージしていたより相当こじんまり。あれ?なんて思いながら中に入ります。

外見はいいとして、展示物は胸がいっぱいになりました。
藤城さんの作品は「影」があってこそのモノなので館内は暗い。
作品の部分はぱぁっと明るく光が当てられているので、作品がより引き立っています。

これ、どうやって作品に仕上げたのだろうか。このグラデーションの美しさはどうやっているんだろう。
もう胸がいっぱいになりっぱなしでした。スリルを感じながら行ってよかった。

先日借りてきた藤城さんの画集の中では、東北の震災を切り取った場面もあります。ご本人の言葉として

"がれき”というけれど、そこには宝物というか、あらゆる人間の夢
生活、いろんなものが込められているんですね。
それが一瞬にして崩れて、使い物にならい形で固まってしまった。
その中には無限の感情、喜びもあれば悲しさも、懐かしさもあるだろうし、
そうしたものをすべて大事に描かなければと思っています。

光の祈り P60より引用


現場をそのまま、切り取るのではなく
そのモノ、事柄に対する「そこにあった人の想い」を感じ取っていらっしゃるのです。

一つ一つの作品、それがメルヘンであってもそうでなくても。
伝わるものがあるから私はひかれているのだなぁと画集を読んで気づきました。

今年中には那須にある美術館に行きたいなぁ。とまたわくわくな計画を練っています。


光と影。また実際に感じに行きたいです。

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