読書メモ8 レジリエンスの時代ジェレミー・リフキン著 第3章
本書の文章は冗長だ。それは、p.32にある「レジリエンスとは、(少なくとも自然界では、)冗長性と多様性に尽きる。」と同根だ。
そして冗長性には、二面性がある。+面 レジリエンスがある=リフキンの考えを復元しやすい。ー面 要点を掴みにくい。
この読書メモでは、要点を掴み易くする「効率化」を計る。引用文も省略、変更して短縮することがある。ご了承いただき、詳細は本書に当たられたい。(二本立てにする事が、効率とレジリエンスの両立に有効?かも知れない)
「真の富」=純一次生産=植物バイオマスの生成量
「誰もが生物圏に押し込められ、私たちの行為が、自然界に変化を引き起こす。誰一人として自律的でなく、周りの資源を採取し共生する行為者だ。効率を上げるほどエコロジカル・フットプリント(環境に与える負荷)とエントロピーのつけが増える」(p.75)
「シンデミック」(p.76)
『進歩の時代』=(実は)「化石燃料の時代」(p.83)
必要なのは経済学の完全な見直しと、人間の主体性の根本的再考だ。時間と空間を、私たちがどう理解して来たかを問う事は、合理性と効率の有毒な取り合わせ=「進歩の時代」から、人類を救い出し「レジリエンスの時代」の、適応力ある共感的生き方を見つけるのに不可欠だ。私たちの種が針路を変更して、予測不可能で再野生化する地球での生き方を学ぶ、最後の絶好の機会となるだろう。(p.87)
間違いの原因は何か?
それは【理性】という物の「見立て違い」なのではないか?
無意識の脳機能に乗っかって、賢そうに見えるだけで、視野は狭く、遠目も効かない浅知恵を、独立し、完結した、自己省察可能な主体であると見違えた。
4章以下、人間の意図、創意、発明、発見が、どのように当事者の意図、意識、想像を超えて、勝手に自己展開するものか、よく分かる。
光