痛みと虚無感と君。

虚無感

読み:きょむかん

意味:すべての物事に意味が感じられず、むなしい感情

私は今中学三年生をしながら不登校をしている。受験生でもあるのに学校には行けず日々行けるか行けないかの感情が戦っており、一学期の出席日数は多分10日ほど。去年の秋にうつ病になり摂食障害にもなり自傷行為もたくさんした。その私の一人間の感情を書いていくのだが悲壮感たっぷりに書くつもりはない。これを見てもらった上で自分のことを少しでも認めてあげて欲しいのだ。

さっそくだが、虚無感というものを感じたことがあるだろうか。私はイエスだ。ずっと私は何かをする時に意味を感じられず産まれたことにすら虚無感を覚えているのだが、皆も一度は感じたことがあると思う。たとえば、挫折してしまったときに好きな事をやっても「なんでこんなことしてるんだろう」と酷く苦しくなってしまったり、何をしても意味を見つけれずに涙が出てきてしまったり。こんな虚無感はどんなことよりも、私は辛く酷く苦しまされた。

そこで私は自傷行為というものを見つけたのだ。無よりも痛みを感じる方がまだマシだと思ったのだ。そして、カミソリを当ててピッと手を引くと血が出る。でもこれは痛くない、それは精神が病んでしまっていたから。その人にとって平常なときにカミソリを当てて手を引くとものすごく痛い、こんなに痛いの!?と思うほどに。私には左腕と左太ももに数え切れないほどの傷跡があるのだが、元々痛みに弱い体質だったため最近は、「よくこんなに切ったよね、頑張ったね」と自分のことをたまに褒めてあげるようにしている。

自分を褒めてあげるということを人は笑うかもしれない。だけど人が笑うことを気にするよりも自分を褒めてあげれることの方がずっと重要なのだ。もしかすると傷跡を見て後悔している人もいると思う。そして私も後悔している部分は沢山ある、半袖が着れないこと、半ズボンが着れないこと、かわいい水着を着れないこと、人に遠ざけられること。でもそんな感情ごと全部褒めてあげるのだ。私はこんなに辛いことをしてでもなお生きている、人間として機能しているんだ。と思うようにしている。

そして虚無感と向き合うことはものすごく辛い。私は辛くなった時紙に感情や考えていることを全て吐き出すようにしている。人でなくとも紙に吐き出すことで気持ちが軽くなったときは沢山ある。それに自分の気持ちを視覚化できることは、自分を理解してあげやすくもなる。だからこれはオススメだと思っている。そして日光にあたることやきちんとした睡眠を摂ること、食事をとることで、案外元気になれる。だから生活リズムはやっぱり大事、見直してみたりするとなにか変わっていくと思う。

ときには、自分のことを考えてみるのもいいと思う。例えば産まれた理由だとか。口は悪くなるが、セックスが生み出したゴミだと前までずっと思っていた。だけど違う、私は私という人間になって外の世界に興味があったから生まれてきた、ただそれだけなのだ。だから誰も悪くは無い、もし生まれてきたことに後悔したならば、単純な興味で出てきただけと思えばいい。
誰も責めないで欲しい、自分のことも。あなたという人間が生まれてきたことで世界はまた新しくなり、面白くなるのだ。自傷行為をしてもいいし、死にたくなってもいい、だけど自分の意見と向き合うことをしてみて欲しい。

そして自分と向き合えるということは武器にもなるし、自分という人間をどうやってアピールできるのかと考えれる。
自分と向き合うということは生きることと向き合うということだと私は思っていて、生きていて苦しみがあり喜びがある。それをいかに自分のものにできるか、その苦しみは私だけの苦しみになってどの形にも当てはまらない私の苦しみにできるのか。それをできるようになるには時間がかかると思う、私もまだできていないから。

でもその苦しみと向き合えたら、ほかの人間の苦しみを理解出来る第一歩になる。そして私たちの自傷行為という経験は、世界のどこかにいる誰かを救ってあげれる武器なのだ。

だから恥じることではない、自信を持っていればいい。たとえ人前に出せずともその傷は君を強くした糧なのだ。優しい心を持つ人間ほど優しいものはないし、その武器を持っている人間は人を助けれる、人間の気持ちを理解できるというのは最大の強み。君は君らしく生きていて欲しい。

そしていま、虚無感の中で生きている人はどれだけいるのだろうか。勉強をする意味、趣味を好きでいる意味、運動する意味、学校に行く意味、生きる意味、悪口を言われる意味、全てに意味はあるのだと思う。
だけどそれを理解しておきたくはない。だって辛いもの。
そういう時私は、この世界のシステムはこうなっているからしなければならないと世界のせいにしている。
悪口を言われるのも自分のせいではない、こんな人間を作ってしまった世界のせいなんだ。と思うことで少し生きることが楽になった。

もちろん悪口を言っている人に失礼なのだが、まず人間として悪口を言わない人なんか居ない。誰かしらひとつぐらい悪口を言うのだ。でもその理由が明確な人と、ただウザイから、キモイから、ブスだからという人を酷く傷つけてしまう理由での悪口が大多数だろう。

例え、こちらの容姿が綺麗ではなくとも、私や君の心はその人より綺麗なんだから自信を持っていい。そんな奴に言い返せなくても、君という人間は素敵なんだ。

中身を見てくれる人というのは案外近くにいたりするもので、
私も容姿は整っていないのだが、すごく仲良い可愛い女の子もいる。それに女の子は全員可愛いのだ、女の子が女の子として存在しているだけで可愛い、理由はそれだけでいい。そして男の子もそう。男の子として存在している時点でカッコイイのだ。容姿なんかただのお飾りだ。本当に人を惹きつけるものは表情だと思うし、たくさんの辛い経験をしてきた人は優しい表情をしているし、笑顔も素敵なんだ。

人を中身で見てくれない人もいるから、そこはしょうがない。どうしようも無いこと。でも中身なら変えれる。人を安心させれる人間っていうものは、この上なく信頼が深いから。君も自覚していないだけで人を安心させれる人間なのかもしれない。だから自分に自信を持って欲しい。

整形したっていい。辛いなら自傷行為をしてもいい。嫌なら悪口を言ってもいい。だけど、君という人間の芯を持っていて欲しい。

君は君のままで素敵だから。

P.Sこれはタトゥーじゃないよ……自分で書いてしまったやつです……