「名こそ惜しけれ」は源氏じゃなくて平家の名台詞なんですが? ~NHK『新・街道を行く 三浦半島記』の鎌倉絶賛が疑問だらけだった件
私は鎌倉が好きで、奈良・京都も好きだ。
どちらも大好きだ。
だから、昨夜(8月6日)放送のNHK『新・街道を行く~三浦半島記』を見て、
中で朗読されていた故・司馬遼太郎の文章を聞いて、驚いた。
「鎌倉幕府がもしつくられなければ、その後の日本史は二流の歴史だったろう」
えっ。
奈良時代と平安時代、全否定?
「この時代から、日本らしい歴史が始まると、極論していい」
よくなくない?!
極論にもほどがありませんか?
司馬遼太郎をちゃんと読んだことがなかったのだけど、
そんな乱暴なことを言っていたのか。
びっくりだ。
司馬先生の中では「武士」は、武装した「農民」ということになっていて、
つまり「武士の時代」は「民衆の時代」ということになっているらしい。
「農民――武士という大いなる農民――が政権をつくった」
それは、ずいぶん古い歴史観だ。
四、五十年前、昭和の頃にはそう信じられていたようだけど、いまはもう否定されている。私みたいな素人が読める入門書にもちゃんと書いてある。
源氏は軍事貴族だ。天皇家につらなる名家。
そして、頼朝は京育ちのエリートだ。
源氏以外の坂東武者、例えば北条氏や畠山氏も、北条時政や畠山重忠などのトップ(棟梁)は若き日に京都で教育を受けている。やっぱりエリートだ。
民衆の代表などではない。
ある子ども用の学習書にもちゃんと書いてあった。
「貴族の時代から、武士の時代になりました」
「これは、『武士の時代になったから良かった』という意味ではありません」
あっ、と思った。
たしかにそうだ。われわれ一般ピーポーにしてみたら、支配層が貴族から武士に替わっただけだ。
たぶん年貢とかべつに変わらない。
いま、世界のどこかの国で「軍事政権樹立」というニュースを聞いたとしたら、
「わあ素敵、武士の世の中になっておめでとう!」
とは思わない。
あと、もう一つ、不思議なことを言っていた。
「坂東武者」は「潔さ」を愛し、
「『名こそ惜しけれ』ということばをもって倫理的気分の基本においた」、(つまり何よりも名誉を尊んだ、)
「坂東武者が日本人の形成にはたした役割は大きい」
という司馬先生のお言葉なのだが、
「名こそ惜しけれ」って、平知盛の名台詞だからね?
壇ノ浦の決戦のときの。
「いくさは今日をかぎりなり。おのおの少しも退く心あるべからず。
名将勇士といえども、運命尽きぬれば力およばず。
されども名こそ惜しけれ」
(『平家物語』より)
なんで平家まるっと無視? 全否定?
私は鎌倉も好きだし奈良京都も好きだし、厳島も好きだし、平家も源氏も好きだ。
一方を褒めるために、もう一方が全否定されたり無視されたりするのを見ると辛い。
なぜそんな必要があるのだろう?
こんなに無理やり「鎌倉バンザイ」な特集を組むなんて、
もしかしたら、某大河ドラマで描かれている鎌倉があまりに陰謀と殺し合いばっかりでイメージ最悪だから、そのフォローなのだろうか。
でも正直、フォローになってない。
こんな乱暴な極論をいまさら持ち出してきて、かえって鎌倉に反感を持つ人が増えたらどうしよう。
悲しい。恥ずかしい。
坂東武者以上に、司馬遼太郎とNHKが乱暴だ。
ちなみに私は岡田准一さんも大好きなので、彼がナビゲーターで眼福ではあった。
小笠原家の皆さまの流鏑馬すがたも素敵だった。
だからと言って、もやもやが消えたわけではない。